夜は恋

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夜は恋

● 呆然と眺める空には、膜のような雲が揺蕩っているだけだった。突然昼間の出来事が脳裏に蘇る。だが、酔いが回りどこか夢うつつの浮遊感のなか、それはまるで他人の人生を覗くような客観性があった。再び風が吹き、桜吹雪に包まれる。ぼうっと薄く照らされる夜の桜並木は現実味のない美しさがあった。生きることに疲れた春は、いつもここに来て酒を飲む。ベンチの横に転がる缶ビールは、既に四本にもなっていた。腕時計を見やり、そこでようやく終電を逃したことを知る。首をもたげ、大きなため息をつく。    〇  ずっと薄紅色は夢の象徴だった。薄紅色の口紅を付けた女優に憧れた。私も、そんな素敵な女優になりたかった。そのための努力だってそれなりにしてきたつもりだった。 ──それなり、だからダメだったのかな。  自分で自分が嫌になる。軽薄に夢を語った過去の自分を絞め殺したい。風に舞う花弁が缶ビールを持った手にぴたりと張り付く。白い肌に、薄紅色の花弁が良く映えていた。 ──桜の似合う、色白のいい女。  昔は色んなことをした。肌を白くするため日差しとか、栄養とか色んなことに気を遣ったし、髪だってサロンに通いサラサラの綺麗な髪を目指してた。それに、歯だって真っ白。その名残で、今だって私は美人なんだ。ふと目に留まった並木の中でも一際大きな桜の前で立ち止まる。  「へぇ。結構綺麗ね。私みたいに、ならないようにね」  そう呟いて自嘲気味に口角を上げる。  よく見てみると、その美しい桜の根元には大量のビール缶が転がっていた。  
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