第二部 大名編  第一回 本能寺の変

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①大浦城 沼田面松斎「あけましておめでとうございます。」 1582年正月、大浦家重臣が年賀で大浦城に集まる。 大浦家(蔵入り12000石) 大浦為信(当主) 沼田面松斎(軍師100石) 金信就(側衆筆頭500石) 沼田祐正(大浦城代500石・長男9歳傳役) 評定衆(与力分含む) 森岡信元  3000石(和徳城主・次男8歳傳役) 乳井建清  3000石(大光寺城主) 千徳政氏  3000石(浅瀬石城主) 阿部信友  3000石(浪岡城主) 兼平綱則  2000石(兼平館主) 小笠原信浄 2000石(堀越城主) 板垣将兼  2000石(石川城主) 尾崎喜蔵  2000石(尾崎城主) 一町田森清 1000石(西館館主) 桜庭信正  1000石(沖館城主) 葛西祐清  1000石(葛原館主) 多田玄蕃  1000石(三ツ目内城主) 六羽川の戦いで戦死した浪岡城主北畠利顕は無嫡断絶で、代わりに沖館城を守り抜いた阿部兵庫介が浪岡城主として加増転封。その阿部兵庫介は矢傷の回復思わしくなく隠居。嫡男信友が家督を継いで、為信の小姓から浪岡城主となる。沖館城主には、桜庭信正が就いた。 六羽川の戦いで焼けてしまった乳井城は改修を諦め、乳井建清は居城を高畑城に移す。大光寺城の改修が終わると領地替えで大光寺城主となった。 沼田面松斎が、年始恒例の占いを立てる。 面松斎「やや、これは大変なことになります。今年は激動の年、とにかく大変なことになりまする。」 面松斎一人が眉をつり上げている。誰も信じてない様子。 六羽川の戦いでの被害が大きかったため、為信は戦を控えている。奥瀬善九郎の油川城・朝日行安の飯詰城・千徳政武の田舎館城を落とせば津軽統一となるが、今年も戦をするつもりは無い。
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