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②南部家
南部家は、当主南部晴政派と元嫡男田子信直派の冷戦状態が六羽川の戦い以降も続いていた。
信直は、嫡男の地位を返上して居城の田子城に籠もっていたが、身の危険を感じて北信愛の居館である剣吉館に匿ってもらう。
その後、南部家臣筆頭格八戸政栄の居城根城に匿ってもらうようになり政栄を抱き込む。
一方の晴政は、南部家中随一と言われる九戸政実の武力を背景に家中をまとめたいと考えていた。
そして、津軽では晴政の密命を帯びた為信が勝ち進み、津軽統一まであと少し。統一後は為信との同盟や為信の帰参まで考えていたのかもしれない。
1582年1月、南部晴政病死。
信直が嫡男の立場を返上した後、評定で嫡男と決まっていたのが晴政の実子晴継。評定の決定通り南部家の家督を継承。晴継は13歳だが、家臣が支えれば良いだけのこと。
1582年2月、南部晴継病死。
南部家の家督はどうなる?
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