第二部 大名編  第二回 秀吉台頭

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②賤ヶ岳の戦い 清洲会議の後、織田家は決議された体制の下で一つにまとまることはなかった。信雄派と信孝派は対立を深める。 1582年12月、羽柴秀吉が、織田信孝に対して挙兵。信孝降伏。 1583年1月、滝川一益が羽柴秀吉に対して挙兵。 2月を柴田勝家が羽柴秀吉に対して挙兵。 4月、織田信孝が羽柴秀吉に対して再挙兵。 戦いは、全面対決に発展。羽柴秀吉は賤ヶ岳で主力決戦を挑む。 1583年4月21日、賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉が大勝。 4月24日、柴田勝家が居城の北之庄城を囲まれ自害。 4月29日、織田信孝切腹。 翌月には滝川一益も降伏。羽柴秀吉が織田家を統一した。 権力は羽柴秀吉に集中。織田家を相続したはずの織田信雄は、所領こそ増やしたものの一領主という立場になってしまった。
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