第二部 大名編  第二回 秀吉台頭

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③小牧・長久手の戦い 1584年、羽柴秀吉が織田信雄に年賀の礼に来ることを命令。これに信雄は反発。 3月、信雄が秀吉派の三家老を処刑し、事実上の宣戦布告。信雄と同盟していた徳川家康も決起。 この戦、小牧・長久手の局地戦ではない。羽柴秀吉と徳川家康の覇権争いである。 この時、徳川家康の所領は三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の5カ国に及んでいた。織田信雄は尾張・伊勢・伊賀。 更に、徳川家康と同盟を結んでいたのが関東の北条氏政、四国の長宗我部元親、北陸の佐々成政、紀伊の雑賀衆・根来衆。 西の大国毛利輝元は、秀吉と講和交渉中で、決裂の可能性もあった。 九州の島津義久は、大友宗麟を庇護する秀吉と敵対していた。 東は、上杉・佐竹・宇都宮が秀吉に従う。 奥羽は、伊達政宗が領主になる直前。群雄割拠。 4月、長久手の戦いで、秀吉は池田恒興・森長可などの武将を失う。 戦いは、両軍ともに防御を固めるだけ固めての長期戦になった。
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