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僕の混乱が絶望に変わるまで、お医者さんは辛抱強く待っていた。
「一通り検査を済ませたら、すぐ治療を始めましょう。完治するとは言え病状がとても良いわけではありませんから、急ぐに越したことはありません」
…僕は相変わらず静かに語るお医者さんを見上げた。
そして首を横に振った。できる限り大きく振ったつもりだけれど、お医者さんにわかるくらいだったかどうかは自信がない。
「ぼくをしなせてください」
お医者さんの表情が、はじめてちょっと動いた、ように見えた。
「もう、しっているひともいない…つまもいないのなら、いきていてもしかたがありません」
そうだ、僕は浦島太郎。時間に取り残されて、圧倒的にひとり。玉手箱を開けるよりほか、何ができるって言うんだ。
凍っていた感情が溶けて涙になって流れた。その感触すら呪わしい。生きていることが煩わしい。
どこを探しても君がいない、解けた絆を結び直せないなら、もう。
お医者さんはじっと僕を見た。
そのとき、何でだろう。ひどく胸が苦しくなった。
何だこれ…
懐かし、い?
まるで…
「…もし子供ができたら、男の子には陸、女の子には空と名付けるつもりでしたよね?」
…え?
お医者さんはまだ僕を見ている。
懐かしい…まるで。
まるで、君が見ている、ようだ。
もしかして。いや、でも、そんな。馬鹿げてるありえないくだらない。
…それでも僕は、問わずにはいられなかった。
「…せんせいのなまえは、りく…?」
その時はじめて、お医者さんが、少し困ったように笑った。
僕は融けたけれど君との絆は解けたと思った…でも違った。
解けていなかった、んだね。
君は、僕とかけがえのない絆を、結んでいってくれたんだ。
もう一度流れた涙…今度のは、とても心地が良かった。
僕より多分歳上の、僕とかけがえのない絆を結んでくれたもうひとつの魂が、ハンカチを出してそっと、僕のこめかみを拭ってくれた。
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