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豊潤な枯れ枝
美容室に行ったら枯れた老女が居た。
倒れそうであったので助けたところ、彼女は非常に潤沢であった。
一つ、何しろ裕福である。
一つ、知識の宝庫である。
一つ、人生経験が豊富である。
十年一昔という。
一世紀近生きてきたとなれば、その十倍近い歴史が煮詰められている。
しかし彼女に湿ったところはない。
潤ってはいるが湿気ってはいない。カラカラに乾いている。渇きは一切ない。
或いは若かりし日には、そうしたぬめった感情や、餓えて滾らせた想いもないではなかったかもしれないが、今は昔と乾いている。ちょうど、雨にやられた文庫の本が、すっかり晴れた昼過ぎに、カサカサ膨らんだ紙のよい匂いを静かに広げるのと同じである。
いや、全然違う。
彼女は人に与さない。誰にも与え、誰からも得て、誰からも奪わない。
彼女の与えた一言に、私はいたく感銘を受けた。胸が震えるとはこのことか。否や。かように些末で小さげなものではない。胸が膨らむ、視界が広がる、そうした表現のほうがより近い。近いけれどもまだ足りない。
彼女の声は老いぼれていた。かさついて安定しない。且つ見事に重心を据えて、私に大きな感動を与えた。
何を言っていたかは知らない。
何しろとても重要なことを言われたに違いない。
ともすれば倒れてしまう老婆を仕方なしに支え続けていると、ようやっと美容師らしき男がやってきた。慌てふためきながら老婆を回収してゆく。懇意のようだ。さしずめ毎回担当しているとかされているとかいう仲だろう。
そう言えば彼女は大女優の何某かではなかったか。その言葉を賜るとは僥倖である。
一生忘れることはすまい。
何を言われたか知れないが。
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