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ある土曜日の夜十一時過ぎ。急に激しく降りだした雨がガラスを叩く音と、店内のBGMとが不協和音を奏でている。
テーブルは全て埋まっていて、カウンターには常連客の西さんが、三十代前半の女性を伴って座っている。カウンターにはこの二人だけだ。
ネイビーの高そうなジャケットにワインレッドのチーフをさし、その服装を見ただけで、かなり気合いを入れていることを佐藤は察した。
二人の正面には立たずに、カウンターの端で見守ることにした。
終始敬語で話が進んでいく。
話ぶりを見るに、同じ職場というよりは取引先のように感じられる。
女性は良く笑った。少しぽっちゃりしている感じが包容力を滲ませ、何より快活、そんな言葉が良く似合い、魅力に溢れている。
西さん、頑張って! 佐藤の中に応援する気持ちが自然と湧いてきた。
西さんは女性から目線を外し、手元のグラスに落とした。
ん? どうしました、西さん。なんか溜めてるような……。
佐藤がそう感じた瞬間だった。
「月が綺麗ですね」
ぼそっと呟くような声で、視線はそのままに西さんが一言。
これは!?
「え?」
どうやら女性には聞こえていなかったようだ。
西さんはグッと顔を上げて、右隣の女性に半身を向けた。
「月が綺麗ですね」
今度はハッキリ聞こえたはずだ。
佐藤は他人事なのに、ドキドキしながら女性の返事を待った。きっとその瞬間は西さんとシンクロしていたはずだ。
女性は少しポカーンとした顔をしたあと、大きく笑いながら西さんの肩をバシバシ叩き始めた。
「何言ってるんでか! こんな大雨じゃ月なんて見えませんよ!」
「そ、そうですよね……」
西さんは弱々しく一言返すのが精一杯だった。
佐藤は思う。女性が意味を理解して返答したかは分からないが、西さんは間違いなく意味を知っていて投げ掛けたはずだ。その意気や良し! だけど……。何でそんな常套句を。しかもこんなタイミングで。うーん、西さんドンマイ!
こうしてその夜は終わりに向かっていった。一人果敢に挑んだ男のことなどお構いなしに。
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