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松藤さんは歩きながら、自身が霧島党にいた事を語ってくれた。
「あれは国父様が幕政改革の為に江戸へと向かわれる時でごわした。おいはそん頃、京におりもした」
「あの頃の京といえばやはり……」
「はい、寺田屋で多くの仲間が斬り死にしもした」
松藤さんは悲しい表情を浮かべながら下に俯いた。
始まりは薩摩藩の藩主の父であり事実上、藩の実権を握っていた“国父様”こと島津久光公の江戸行きから始まった。
久光公は亡き兄君の島津斉彬公が果たせなかった幕政改革を成しえんが為に薩摩藩士1000人を従えて江戸へと向かった。
まず京へと入京すると、朝廷から勅使の派遣を試みたが、朝廷は京に潜む攘夷志士達の始末を久光公に命じた。
この頃の京には過激な攘夷志士が集まりつつあったのだ。
特に同じ薩摩藩にも倒幕を目指す藩士達が多くいた。
しかし、とうの久光公には倒幕の意思はなく公武合体を目指していた。
更に藩士達の人望が厚かった西郷吉之助殿を命令違反により捕縛した件も合わせて、久光公に対する彼らの不満は爆発寸前であった。
その爆発が蜂起の思想へと変わり、無理矢理にでも久光公を攘夷の旗印にしようと寺田屋で計画された。
志士達の暴発を聞いた久光公はすぐに止めさせようと説得を決意、その旨を使者達に命じた。
だがもし失敗した場合は上意討ちにせよとも命じた。
そして説得に失敗し、多くの薩摩藩士が寺田屋で壮絶な最後を遂げた。
世にいう寺田屋騒動である。
だが、この事件は多くの薩摩藩士に衝撃と深い悲しみを与える事となった。
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