第10話 花を育てる

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翌日、私は7時半に起きて食事の用意をした。 ロールパンとスクランブルエッグとサラダを用意して、マリー用にはそれらをマリーが食べやすい大きさにしてあげて。 すると、8時ぴったりにマリーが起きた。 本当に時間通りに起きたマリーに、私は感心してしまった。 正確な時間が解る事も凄いけれど、目覚まし時計のようなものは何もないのに正確な時間に起きる事が出来るのも、凄い。 朝食を一緒に食べ、ワイルドストロベリーの入った箱を開けた。 「ちっちゃいね。これがたね?」 透明の小さな袋に入った種をマリーがじっと見つめる。 「そうだね……、本当に凄く小さいね」 私も初めて見たその種の小ささに少し驚いた。 種の下に入っていた土と小さな植木鉢を取り出し、説明書を見る。 「発芽までは1ヶ月くらいかかるんだって。結構かかるんだね」 「はつが?」 そうだ、マリーは植物の事を知らないんだった。 「発芽っていうのはね、その種から葉っぱが出るようになる事を言うんだよ。葉っぱだけじゃなくてね、根っこっていうものもあるんだけど、根っこは土の中から栄養や水分を吸収するの。太陽の光も必要だけど、それは葉っぱから吸収する。そうやって植物は大きくなっていくんだよ」 「そっか……、すごいね!」 植木鉢に土を入れて、マリーと一緒に種を蒔いて、薄く土を被せたら、お水は上からあげないで植木鉢の下から吸収させると説明書に書いてあったので、小皿に水を入れて植木鉢の下に敷いた。 「たのしみだねぇ」 マリーは自分の身長の半分くらいの高さの植木鉢に向かって嬉しそうにそう言うと、土の上に顔を近づけた。 「げんきにはつがしてね。」 そっと土の上に手を置くと、そう、種に話しかけているようだった。 「さき、ありがとう! しょくぶつのこと、しることができてうれしい!」 「ねぇ、マリー、観察日記つけてみない?」 「それ、なぁに?」 「このワイルドストロベリーの様子を毎日観察して、その様子を絵や文章で記録するの」 「それ、いいね! やる!」 マリーの朱い瞳が、更にキラキラと輝き出した。 「じゃ、今日から始めよう!」 「うん!」 マリーに色鉛筆と絵日記が書けるノートを渡してあげた。 「これ……」 マリーが初めて見るそのノートをじっと見つめて私を見た。 そのノートは、種を買いに行った時に一緒に買ってきたものだった。 マリーは絵を描くのが好きだって言っていたし、きっと喜ぶだろうと思って。 「これに、観察日記をつけるんだよ。」 書き方を教えてあげると、マリーは真っ先に絵を書き出した。 まだ植木鉢と土だけだけど、サラサラととても綺麗な絵を描いて、絵とは対照的な辿々しいひらがなで文字を書いていた。 でも、ワイルドストロベリーという名前はカタカナで書きたいと言って、箱に書いてある文字を一生懸命見ながら、一生懸命書いていて、その真剣な眼差しに感心してしまった。 マリーが観察日記を書き終えて少ししてから、植木鉢を直射日光が当たらない日当たりのいい窓際へと移動してあげて、今日はマリーの修行に1日使う事になった。 そして、まずは私もまだよく知らないワイルドストロベリーの事を勉強しようという事になって、パソコンでいろいろ検索して調べると、マリーは興味津々で画面を見ていた。 「さき! これ、かすみちゃんにおしえたい!」 「え? ……うーん、今だと向こうは夜中だから、かすみちゃんも吉野さんも眠ってると思うよ」 私は頭の中で時差を計算してマリーに教えてあげた。 「そうなの?」 きょとんとした顔で私を見上げるマリーに、イギリスとの時差の事を教えてあげると、すぐに理解したようで、夜になったら通話してみる事になった。 「さき、ありがとう。わいるどすとろべりーと、じさ、いろいろおしえてくれて!」 「いえいえ。今日はまだ色々修行するんでしょ?」 「うん!」 マリーはいつも修行する事を楽しみに思っているようだった。 そんなマリーにはいつも感心してしまう。 その後は、初めてテレビをつけてあげて、たまたまやっていたバラエティー番組を見た。 丁度、人気のスイーツ特集なんてものをやっていて、マリーと一緒に楽しく見る事が出来た。 マリーはテレビの中の事に終始興味津々で、いろいろ説明するのは大変だったけど、楽しかった。 昼食を食べて後片付けをして部屋に戻ると、マリーはワイルドストロベリーの植木鉢の側に居た。 「マリー?」 「いまね、おはなししてたの。まりがおぼえたこと、おしえてあげたんだよ!」 マリーはとても嬉しそうにそう言うと、植木鉢を見た。 「そっか……。マリーは優しいね」 「やさしいのかな……? まりは、まりがそうしたいからしてるだけだよ」 照れるマリーも可愛い……。 そんな事を思いながら、お茶を淹れて、テーブルの前に座った。 そして、まだ植木鉢に話しかけているマリーを見ながら、ふと、重大な事に気づいた。 私、どうしてマリーと一緒に暮らそうと思ったんだろう……? マリーと初めて話した時、なんの躊躇もなくマリーを受け入れてしまっていた自分に今更だけど驚いている。 此処には、両親が来る事も妹が来る事もある。 そんな時、マリーをどうしたらいいのか、それから、今後、何年マリーと一緒にいることになるのか、マリーはいつ帰ってしまうのか、急に不安が押し寄せた。 「さき? どうしたの?」 気づくと、マリーが私の目の前のテーブルの上に居て、私の顔を心配そうに見上げていた。 「なんでもないよ。ちょっと考え事してただけ」 私が笑顔を見せると、マリーも笑顔になった。 「なんでもないなら、よかった!」 こうして私のことを気にかけてくれる存在が側に居るという事は、本当に嬉しい事だなと思った。 マリーと出逢う迄は、この部屋ではいつも一人で……。 でも、一人が寂しいとはあまり思っていなかったけれど、やっぱり二人だと楽しい。 だからこそ、これからの事をしっかり考えておかなければ。 気になる事は、吉野さんとかすみちゃんにも相談してみよう。 「さて、この後はどうする?」 「まり、じをかくれんしゅうしたい!」 元気にそう答えたマリーに落書き帳と鉛筆を出してあげると、張り切ってひらがなを書き出した。 「マリーは、字を書くの、好き?」 「うーん……、えをかくのはすきだけど……、じはにがて」 大きな鉛筆を上手に使って書きながら、マリーは少し元気のない声でそう答えた。 「そうなんだ? 練習したいって言うから、好きなのかと思った」 「かけるようには、なりたいの。だけどね、いっつもうまくいかないの」 「そっかぁ……、でも、練習したらきっといつか上手くなるよ。マリー、頑張ってるんだもん。ね?」 「そうかなぁ? うまくなれるかな?」 まだ少し元気のないマリーの頭をそっと撫でてあげると、マリーが振り返って私を見上げた。 「大丈夫。きっと上手くなれるよ」 マリーの綺麗な朱い瞳を見つめてそう言うと、マリーは少しの間じっと私を見ていたけれど、すぐに笑顔を浮かべた。 「さきが、そういうなら、しんじる! ありがとう、さき! だいすきっ!」 マリーは鉛筆を置いて、私に飛びついてきた。 そんなマリーをそっと抱きしめ、頭と背中を撫でてあげた。 「私も大好きだよ、マリー」 マリーに大好きと言われる度に、本当に嬉しい気持ちになる。  妹に対する感情と少し似てるかな……。 有希が小さい頃は、私、いつもこんな感じだったかも。 マリーが字の練習をしている間、私は洗濯をしてしまおうと思い、マリーにそう話すと、手伝うと言われ、洗濯機が自動で洗ってくれる事を説明した。 「すごいね! にんげんって、いろんなすごいもの、もってるんだね! とけいも、すまほも、ぱそこんも、てれびも、みんなすごいけど、せんたくきもすごい!」 抱き上げて、給水中の洗濯機を見せてあげると、マリーはとても驚いた様子で、興奮して「すごい、すごい」と何度も言っていた。 「マリーのおうちでは、お洗濯ってしてたの?」 「うん! みんな、じぶんのふくは、じぶんであらってた! でも、おにわのいずみであらってたよ!」 「泉があるの?」 「うん! そこで、あそんだりもするんだよ! でも、みんな、ふくのままはいってたから、にんげんのおふろ、びっくりした。」 「あはは……、そうだったんだね……」 マリーがお風呂を気に入っているから、なんとなく毎日一緒に入っているけれど、やっぱり、なんとなく一緒に入りづらい。 最初は女の子だと思っていたから一緒に入ろうと思ったのに、男の子だったのだから……。 でも、いつも楽しそうにお風呂に入っているマリーを見ていると、一緒に入るのをやめようなんて言えなくて……。 まぁ、小さい子なんだから、あまり気にしなくてもいいかな……。 そんな事を思っていると、玄関のチャイムが鳴って、かなり驚かされた。 「なぁに?」 マリーがその音に反応する。 「誰か来たみたい。ちょっと静かにして待っててね。」 「うん、わかった!」 部屋とキッチンの境のドアを閉め、玄関の前へ行った。 「はい。」 「あっ、お姉ちゃん? 私、有希。よかったぁ、居て。」 えっ、有希……? 連絡もなしに突然訪ねて来た妹に驚きすぎて、私の思考は一時停止してしまった。 「お姉ちゃん?」 「あっ、ごっ、ごめん。ちょっと散らかってて……。ちょっとだけ待ってて!」 ど……どうしよう……、マリー! 心の中でそう叫び、少しの間玄関から動けず、回らない頭であたふたとどうしようか必死に考えていた。
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