第9話 『生きている』という事

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第9話 『生きている』という事

数日後、吉野さんはイギリスに帰って行った。 予定が合わなくて会えたのはあの日だけだったし、仕事が休めなくて見送りに行かれなかったのが凄く残念で申し訳ない気分だった。 帰る前日の夜、マリーとかすみちゃんにスマホで少し話をさせてあげた。 無邪気なマリーとしっかり者で大人しいかすみちゃん。 どちらも本当に可愛くて……。 二人にとって……、というか、マリーたち『うさぎ』にとっては、別れは辛かったり悲しかったりするものではないらしい。 またいつか絶対に会えるから、だからあまり寂しくはないのだと言う。 「かわいいなぁ……、かすみそう……。あかいばらも」 数日前、マリーの為にかすみそうを買おうと思って、それだけじゃ寂しいかなと、丁度お買い得な値段になっていた赤いバラも一緒に買ってきた。 するとマリーはとても喜んで、それ以来ずっと、花を見つめながらこんな風に呟く事が多い。 そして、時計を見るより、花瓶の花を見る事の方が増えたような気がする。 「そんなに気に入って貰えたら、きっとお花も嬉しいと思うよ」 「おはなが、うれしい?」 「うん、お花は言葉を話す事は出来ないけど、お花も生きているからね。話しかけるといいって聞いた事がある」 「……いきてる?」 マリーが目をぱちくりとさせて私を見た。 もしかして、生きているっていう意味が解らないのかな……? 「マリー、お花が好きだって言ってたよね? マリーの知ってるお花はどんなお花?」 「おうちのまわりにはね、いろんないろのおはなが、いっぱいあるんだよ。でも、だれもおはなししたりとか、しなかったよ」 「そっか、お花は沢山あったんだね。ここでも、話しかける人は少ないよ」 私がそう言うと、マリーは何か考え込んでいるような表情を見せた。 「まり、いきてるっていうの、よくわかんない」 悩み込むマリーを、私はそっと抱き上げて視線の高さを合わせた。 「マリーがこうしてここに居るのも生きているって事だよ」 「まりも?」 「うん。一生懸命考えて、動いて、喋ってる。それに成長もするんでしょ? 生きている証拠だよ」 「……それが……、いきてるって……こと?」 説明するのは難しいし、それで本当に合ってるのかと聞かれたら全く自信はないけれど、でも、いつでも一生懸命なマリーを見ていたら、そう感じたから……。 「うん、そうだよ」 そう答えてあげると、少ししてマリーの朱色の瞳が輝いたように見えた。 「おしえてくれて、ありがとう、さき!」 とっても嬉しそうに明るい笑顔を見せたマリーは、また花瓶の花を見た。 そんなマリーの姿を、可愛いなぁと思いながら見つめていると、スマホのバイブレーションが鳴り響いた。 「かすみちゃん!?」 「どうだろうね?」 嬉しそうに私に問いかけるマリーに微笑み返し、そっとテーブルの上に置いてあげると、私は急いでスマホを見た。 それはメールで、差出人は吉野さんだった。 内容を見ると、『こんばんは。先日はありがとうございました。早希さんのご都合が宜しければ、マリーと話をしたいのですが、今、大丈夫でしょうか? 急ぎではないので、お忙しければ又にします。 かすみ』と書いてあった。 うわぁ、凄く丁寧な文章……。 こんなに畏まらなくてもいいのに、かすみちゃんは偉いなぁ。 私は会社から帰ってきて、マリーと一緒にご飯を食べて、少しのんびりしていたところだった。 自分から連絡するのはどのタイミングでしたらいいのか迷っていたから、かすみちゃんがメールをくれてとても嬉しかった。 「マリー、かすみちゃんが、マリーとお話したいって」 「ほんと!? うん! まりも、したい!」 喜んで飛び跳ねているマリーを見て、私はすぐに返事をした。 すると、すぐに通話ができるアプリの通知音が鳴った。 「はい、マリー」 通話できる状態にして、スマホスタンドにセットしてマリーの前に置く。 「かすみちゃん!!」 「こんばんは」 「こんばんはっ!!」 元気よく返事をするマリーがおかしくてクスッと笑い声を漏らしてしまった。 でも、マリーはそんな事を少しも気にしていないようで、スマホ画面に映るかすみちゃんをまじまじと見つめていた。 「修行、捗ってる?」 「うん! さきに、いろいろおしえてもらってる! あ、あのねっ、かすみそう、かってもらったの! かわいくてきれいなおはなだね!」 「うん。よかったね」 落ち着いた雰囲気のかすみちゃんと、はしゃぎまくっているマリー、本当に対照的だなぁと思う。 「うん! それからね、いきてるっていうのおしえてもらったの。おはなも、まりも、いきてるんだって」 「うん、そうだね」 マリーの話を聞いてくれているかすみちゃんは、少し嬉しそうに見える。 きっと、見た目よりずっと嬉しいって思っているのだろうなと、そう感じた。 「まりたちのおうちのまわりにあるおはなって、いきてるの?」 「あれは……、生きてはいないね。作り物だよ」 「そっか……、でも、きれいだよね!」 「うん、そうだね」 えっ、そうなんだ……? 私は、二人の会話を聞いて驚いた。 だとしたら、マリーは、本物の花を見た事がなかったのかもしれない。 かすみちゃんに聞きたい事はいろいろあったけれど、今日は聞かずにマリーと沢山話をさせてあげたいと思った。 今、マリーの事で一番気になるのは、トイレの事だった。 私がトイレに行った時に、何をしていたのか聞かれて、説明するのにかなり苦労したから。 マリーはいろいろ食べるようになったのにトイレに行かなくて大丈夫みたいだし、トイレに興味津々で、本当に大変だった。 見てみたいと言われて、そういうのは他人に見られたくないし普通は他人のしているところを見たりはしないのだと教えたのだけれど……。 かすみちゃんへの質問は、次の機会に、自分から連絡して聞こう。 そんな事を考えていると、かすみちゃんに名前を呼ばれて、マリーの後ろから画面を覗いた。 「お忙しいところ、ありがとうございました」 かすみちゃんはとても優美なお辞儀をしてきた。 「もういいの?」 「はい」 少し嬉しそうに小さく微笑むかすみちゃんが可愛い。 「このくらいの時間なら、大抵のんびりしてるから、またいつでも連絡してね」 「はい。ありがとうございます」 今度はとても嬉しそうに、綺麗な笑顔を見せた。 こんなに笑顔を見せるなんて、やっぱり本当に嬉しいんだなと、凄くそう感じた。 「綾子さんに代わります。それでは、早希さん、マリー、おやすみなさい」 「おやすみなさい、かすみちゃん!」 「おやすみなさい」 私がそう挨拶すると、かすみちゃんが軽く会釈をして画面から去った。 「こんばんは。この子たちの会話を聞いていると、楽しいわね」 画面には本当に楽しそうに微笑む吉野さんの顔が映った。 「こんばんは。先日は本当にいろいろありがとうございました」 「いえいえ、こちらこそ、とても楽しい時間をありがとう」 「あやこさん、こんばんはっ!」 マリーも元気に挨拶をする。 「マリーちゃんは今日も元気そうね」 「かすみちゃんとおはなしできたし、すごーく、げんき!」 元気なマリーと一緒に少し吉野さんと話したけれど、かすみちゃんはずっといなくて気になった。 その事を吉野さんに聞くと、かすみちゃんは遠慮してくれているだけだからと言って呼んでくれた。 そして、またマリーは喜んでいたけれど、少しすると眠くなってしまったようで、うとうととしかけた為、また今度という事で通話を切った。 マリーはベッドにしているいつものクッションまで自分で歩き、その上にバタリと倒れ込むと、すぐ寝息を立て始めた。 よっぽど眠かったんだなぁと思い、そっとタオルを体にかけてあげた。 いつもマリーがぬいぐるみに変わる瞬間を見逃している私は、いつもより早く眠りについたマリーをじっと見つめた。 しかし、暫く見つめていても特に変化はなく、可愛らしい寝顔が見えるだけだった。 マリーがぬいぐるみになる瞬間を見たかったけれど、マリーの寝顔を見ていたら私も眠くなってしまって、今日は諦めて寝る事にした。
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