海座頭

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その日は朝から何度も海に潜り,トコブシやシッタカを獲っては小さな焚火の上に置いたバーベキュー用の網で焼いて食べていた。同じクラスの山下正人(やましたまさと)は,太くてしっかりしたゴムを何重にも巻き付けたモリを持ってきていたので,大き目の魚を狙って深場で魚を狙っていた。その威力は海の中の岩の薄い部分を貫通するほどで,近くで潜っているときにモリの先が岩に当たるとうるさいと思うほどだった。 俺の使い込まれた鉄製の真っ黒なオコシは,片側が平らで少し反り返っていて,反対側は鋭い鉤爪のようになっていた。そして,もう何年も磨き上げられた部分が銀色に光っていて,黒と銀のコントラストは海の中でも目立っていた。このオコシは地元の水産加工会社に勤める親戚の叔父さんからのお下がりで,かつては40cmくらいの長さがあったそうだが,何度も砥いだり磨いたりしているうちに,いまでは30cmを切るくらいまで短くなっていた。 このオコシの平らな部分をアワビやトコブシのような一枚貝と岩の隙間にそっと差し込み,テコの原理で貝を岩から引き剥がすのだが,使い込まれたオコシは手にしっくりと馴染んでいて,海の中では自分の身体の一部のようで,オコシの先で物の硬さや素材までわかるほどだった。 お昼を前にしてそろそろ浜にあがって休もうかとしていたとき,岩と岩の間に見慣れない生物(いきもの)が隠れているのが視界に入った。まだ肺の酸素は十分で,このまま潜り続けていても大丈夫だと判断し,波に身を任せながら静かにその生物に近づいて行った。 岩と岩の間から見えるその生物は,やけに黒く,そして大きな黒目があるのが見えた。海藻をぎゅっと握り締め,身体が流れないようにしてその生物が隠れている岩の隙間を観察した。 『蛸かな………?』 ハンドボールくらいの大きさの蛸なら時々獲れるのだが,目の前で隠れているその生物はバスケットボールくらいの大きさがあった。潮の流れが急に変わり海藻が視界を遮った瞬間,一瞬その生物を見失った。落ち着いて岩場の下のほうを見ると,その生物が向きと形態,そして身体の色を岩と同じように変化させて景色のなかに溶け込んで隠れていた。 『蛸だな………』
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