<第一話~磯部崇・Ⅰ~>

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『ぜーんぜんダメでした!ごめん、淳也と同じ会社に行くのは無理くさい。アガりすぎた自分まじカッコ悪い。今ビル出るとこー』  メッセージに送信ボタンを押したところでエレベーターが来る。崇がいるのは丁度二十階だ。乗り込むと、中には子供が一人乗っていた。多分小学生か中学生くらいの男の子、なのだろう。だろう、と思うのは少年の髪が少し長めで、ちらりと見えた顔が女の子のように可愛いものだったからだ。判断できたのはその子の服装がカジュアルで、いかにも男物だったからである。  そういえば二十二階には、かのジャネール芸能事務所のオフィスが入っていた。時々年端もいかぬ子供の姿を見かける、と淳也が言っていたのを思い出す。きっと彼も、その事務所でオーディションでも受けてきたのだろう。まあ、自分が知らないだけで既に働いている子役という可能性もあるのだが。  一階行きのボタンは既に押されている。少年が押したのだろう。エレベーターはゆっくり下降する。携帯を見ると圏外になっていた。エレベーター内で電波が届きにくくなるのはけして珍しいことではない。まあ、そのへんはビルの構造や携帯電話の会社にもよるのかもしれないが。  エレベーターはすぐに停まった。十八階。誰か乗ってくるらしい。少年は邪魔にならないように奥の壁に背中をくっつけている。崇は入ってきた人のために、操作盤の前に立った。開く、ボタンを押すためだ。 ――うっ……。  ドアが開いた瞬間、うめき声を出さなかった自分を褒めたいと思った。でっぷり太った赤ら顔の会社員が一人乗って来たのだが――その中年男が、凄まじいまでの煙草の匂いだったのである。加齢臭が臭うかどうかさえわからない。とにかく煙草くさい。しかも機嫌が悪いらしくどすどすと中に踏み込んできては意味もなく睨まれてしまう。  そして、煙草の臭いに辟易したのは崇だけではなかったらしい。美少年君は少し顔をしかめて、なるべく男から離れようとさりげなく移動した。ちょっと露骨な動きだったため、無関係とわかりながらハラハラする崇である。狭いエレベーターの中で、トラブルなど起こされてはたまったものではない。さすがに中年男が少年を殴ろうとしたら、止めに入らない選択肢はないのである。大学生とはいえ、喧嘩などまったくしたことのない、モヤシどころではなくモヤシな崇が、なのにだ。
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