<第一話~磯部崇・Ⅰ~>

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 中年男は操作盤を一瞥すると、ふん、と鼻を鳴らして中央付近に居座った。押さなかったあたり、彼も一階が目的地なのだろう。年は五十代くらい、だろうか。頭のてっぺんは禿げ上がり、テカテカと脂で光っている。ヤクザ――いや、それにしてはでっぷり出た腹が情けないかんじだ。ヤクザだったらもっとぴしっとスーツも着こなしていそうである。  あれだ、男性向けのエロマンガに出てくる、モブレ役のオヤジだ、と崇は思った。気持ち悪くて脂ぎっていて、腹がベルトの上に乗っているのである。そして、もっとデカイサイズはなかったのか、と思いたくなるほどぴっちりしたグレーのスーツ。会社の重役、にしてはなんだか小物感がある。最後に成敗される名前もない小物な悪党。まさに彼はそんな外見だと崇は思った。 ――俺ひっどいなー。たまたま乗り合わせたオッサン相手に、モブレ役になりそうーなモブだとか。  まあ。そんなことでも思わないとやってられないくらい――狭いエレベーターの中に臭いが充満してたまらないことになっているのだが。  間違いなく、ついさっき吸ってきたばかり、という様子だ。別に喫煙所で煙草を吸うのがダメだとは思わない。きっとこの男も、ビルの中に喫煙所に寄ってきたのだろう。むしろ路上や子供の前でスパスパ吸われるよりは遥かにマシだ。だが。  喫煙者には、どうにも“吸ってなければ問題がない”という意識がある者がいるように思う。吸っていない時でも凄まじい臭いで周囲の害になる、という意識が欠けているのだ、そういう人達は。大学関係者には、ヘビースモーカーも少なくない。教授の一人がいつも煙草クサイので嫌だなあと思っていた矢先にこれである。喫煙者に厳しい世の中で生きづらいのは重々承知しているが――もう少し、臭いについても対応してもらいたいものだ、というのが本音だ。 「!」  事件が起きたのは。エレベーターが九階を過ぎた、その直後のことだった。ガコン、という大きな音。そして。 「う、うわあああ!?」  ガガガガガガガガ!という凄まじい衝撃と共に、エレベーターが止まってしまったのである。崇は悲鳴を上げて蹲った。一体何が起きたのだろう。エレベーターの行き先表示の灯が点滅し、そしてぷつり、と消えてしまった。幸いエレベーター内の照明はついている、だが。
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