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「いいから、行くよ」
傘に入って。有無を言わさない苦笑に、私はそろりと立ち上がって、そこを離れた。
彼が差す赤い唐傘は大きいけれど、二人も入ったら方が濡れてしまう。やっぱり私が出て行くべきかと考えれば、彼は私の思考を読んだみたいに「傘から出ようなんて思わないでね」なんて言う。
傘から出ないように、けれど彼の服には触れないように。胃に負担をかけるばかりの至近距離を意識しながら、スーパーの買い物袋を持ち直した。
振り返った。
滑り台の下の暗い空間に、おかしなものは見当たらなかった。
「何かいた?」
「いえ、何も」
おかしなものがいたんです、と報告するのは憚られた。
幻覚ならばそれが一番いい。仮にもし何かがあったとしても、問題があると確信するまでは、彼に知らせるほどのことでもない。
言いつけを破った末に、悪いものを見ましたなんて。
――言えるわけがない。
彼と一緒に歩いていると、好奇の視線が刺さってくる。私と同じ制服を着た女生徒たちや、買い物帰りの主婦や、仲の良さそうな老人夫婦まで。「お似合い」「許嫁」「もう夫婦のよう」こそこそ好き勝手言ってくれるけど、この人たちは私たちの何を知っているんだろう。
悪意はないのだろう。
けれど彼らの称賛は、私にとって刃だった。
地面ばかりを見て歩いていた。
アスファルトの水溜りを踏まないようにしても、革靴の中にじわじわと雨水が侵入してくる。夏の雨はいつも激しい。癖毛が広がってしまうのを気にしながら、そういえば蓮見様の髪はいつも綺麗だと思う。湿気で広がってしまったりしないのだろうか。
ちらりと、隣の彼を見る。
「………。」
目が合ってしまった。逸らす。
なんだろう。私が見るより前に、こっちを見ていたみたいだけど。
もう一度見てみると、やっぱりばっちりと視線が繋がってしまった。
「どうしたの?」
と聞かれても、それは逆にこっちが問いたい。だけどたぶん彼にだって大した理由はないのだろうから、気にしないでおこう。「いえ」といつものように返答をごまかす返事をして、別の話題を持ち出すことにした。
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