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「どう? ん? 遊んでいかない?」
女はグレイのロングジャケットの前をはだけ、梳き込まれるような胸の谷間を露わにしてみせた。目の前には珊瑚樹を塀の代わりにしたラブホテルがある。
「おれの仕事が何か当てたら、夕方まで楽しむよ」
戯れに吐いた言葉が、昼下がりの生ぬるいに風に溶け込んでいく。
上野鶯谷の一画。
欲情の街はむせび泣くようにひっそりとしていた。
女は背が高くてほっそりした体つきをしており、髪はオレンジブラウン、濃い目の化粧をしていた。ラブホテル街の色彩にピッタリ合うような顔だちをしているわりには服装は地味で、どこに淫靡な肉体が包まれているのか想像するのが難しかった。そのちぐはぐさが、かえって真昼の欲情を掻き立てるのかもしれない。
女は意味ありげな含み笑いを口元に浮かべ、上目づかいにおれを見つめた。
「あなたの仕事は上に<ど>がつく商売でしょ」
おれの身体はレーザー照準を浴びたように固くなった。
「唐草の風呂敷は好きか」
おれは符牒を口にした。
「いいえ。里芋の葉っぱの方が好きよ、愛しの薫源氏さま」女はくくっと笑いながら先を続けた。「こんどは、アタシの名前を当ててごらん」
「紫の上、さまだ。お宅はそんなに幼くは見えないけどね」
おれは源氏物語に登場する少女の名をあげた。
おそろしくアナログな方法での相互確認が済むと、女はおれの右手首をつかむなり、目の前のラブホテルの玄関へと引き込んだ。
フロントの壁にタイプ別の空き室状況が表示されていた。
女は場慣れした感じで、金色にぴかぴかした部屋のボタンを押した。部屋の鍵だけを受取り、擦り切れたカーペットの上を歩いて、小さなエレベーターに乗り込んだ。
おれが何か喋ろうと口を開きかけると、女は無言のまま凄い目線でそれを制した。
盗聴を警戒しているのだとすぐにわかった。
3階で止まった。
エレベータドアから斜め向かいの部屋に入る。
金ぴか趣味のドアをあけると、鏡張りの壁とでかいダブルベッドが目に飛び込んだ。
「一時間半で三万。縛りと鞭と・・・」
そのあと女はきわめて露骨な性表現を口にしたが、おれは前座の戯れ言だと思って聞き流した。女はそれが面白くなかったらしい。
「少しくらいマゾ奴隷のフリでもしてさ、場を盛り上げられないの?」
会員制SMクラブの女王様として潜入している公安工作員は、眉間にしわを寄せながら、低く艶っぽい声でなじった。彼女は一歩踏み出して、よく手入れされたパールピンクのネイルでおれの口元を撫ぜあげた。濡れたような淫靡な眸でぐっとのぞきこむ。
「ベッドとシーツを体液で汚しておかないと、あとあと面倒だから。あとで清掃をしにきたホテルの従業員が不審がって、クラブに通報されると厄介なんだよ」女王様はおれの耳に息を吹きかけながら囁いた。「わかったら、さっさと脱ぎな」
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