接触

1/4
18人が本棚に入れています
本棚に追加
/13ページ

接触

                1  女とはホテルの玄関先で左右に分かれた。  夕暮れ時にしてはあたりはまだ明るい。  おれは歩いて鶯谷駅へ向かい、女は大通りの方へ向かった。  跨線橋を渡ると、右手に駅の改札口が見えた。切符を買い、券売機の頭上を上目づかいで防犯カメラの位置を探った。特殊な事件や事故でも起きない限り、今は顔認証システムで追尾されることはないだろうが、これからやろうとしている事を考えれば、防犯カメラを欺く必要があった。  磯子行きの電車が入ってきた。  一駅乗って上野で降りた。人混みに紛れて、不忍池口から昭和通りを横断してアメ横商店街へ向かう。終戦後の闇市から始まって、現在も昭和の雰囲気がいたるところに溢れかえっている一画だ。飯屋に乾物屋、古着屋、金物屋、いろんな店が上野から御徒町(おかちまち)までの数百メートルの間に軒を連ねている。狭い通りは人々のごった煮状態だった。人混みをかき分けながら進んでいくと、乾物屋のあんちゃんが、するめ、するめと試食をすすめている。おれは遠慮なく頂戴した。冷やかしぎみに陳列商品を眺めると、千円、千円とあんちゃんが塩っぽい声で連呼する。  おれはするめをかじりながら、乾物屋から少し先の古着屋に入った。  米軍の払い下げ品やどこで卸したのかわからないような服を扱った店である。  おれはノートパソコンが入りそうなビジネスカバンとストライプ柄のカッターシャツ、黒っぽい吊るしの背広と紺色のネクタイを選んだ。ビジネスシューズも追加する。  購入した衣類は、試着室で着替えさせてもらった。鏡に映った全体像を眺めて、おれはフンと鼻を鳴らした。ネクタイはゆるめに結んだし、無精ひげもいいあんばいだ。何処からみても疲れ切ったサラリーマンだ。  今まで身につけていたカーゴパンツとジャケットシャツと靴はビジネスカバンに押し込んだ。おかげで破裂しそうなくらいに膨れたが、それが目的だから気にしない。  店頭のサングラスコーナーで度なしの黒ぶちも買った。  陽が落ちて暗くなれば、日焼けしたおれの肌の色はごまかしてくれるだろう。  おれは上野駅に戻った。  目的地は横浜の白銀町(しろがねちょう)だ。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!