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「あっれ、まだ残ってたのか?」
真新しい中学校の制服である、黒の学ランに身を包んだばかりの4月。
放課後の教室で、教師から頼まれた5月にある遠足のしおりのホチキス止めを、学級委員長として1人黙々と作業している時だった。
不意に背後から掛けられた声変わりしたての低く耳馴染みの良い声は、いつもは俺以外に向けられている。
その為、今この瞬間教室には俺だけしかいないことは分かっていたが、つい長年の癖で、いつも通り耳だけを欹てて自身の存在を消したままでいた。
「……おい、清瀬」
今度は、その低い声が俺の固有名詞を呼ぶ。
……あぁ、俺のことか。
クラスで1番の人気者から初めて呼ばれた、“清瀬”という俺の名前。
自分という存在を認められ、嬉しいやら気恥しさやら、胸中は何とも言えない感情が交錯していた。
同時に、どこか他人事のように感じている第3者の自分もいた。
ただ同じクラスというだけで、小学校の間ただの1度も話したことがない人気者から、まさか自身の名前を覚えてもらえてるとは思っていなかったからだ。
それ程、俺は影の薄い存在。
清瀬悠燈、だ。
野暮ったい黒縁眼鏡に、か細い声。
声に見合った、ほっそりとした小柄なもやし体型。
唯一、チャームポイントとして挙げることができるとしたら、それはやや長めの黒艶髪であった。
「おい!清瀬ってば!!」
2回目に名前を呼ばれた瞬間、ようやく“清瀬”と呼ばれたのが自分であることに気が付き、自身が目の前の男と話して良い千載一遇のチャンスを与えられたことに気が付いた。
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