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〔1〕私たちは、世界を知ることなく解釈し語っている。
私は世界を知ることができない。
あるいは。
世界は私が知るところの全体である。
これは一体、どちらが本当のことなのだろうか?
人によれば、『私』や『世界』などというものは実在しないのだ、とまで言う。であれば、私たちが日頃「それ」と思っている『これ』を、私たちは一体何だと考えたらいいのだろうか?私たちはなぜ、それを『私』と言い、『世界』と言うのだろうか?私たちは一体、何を見て、何を知っているのだろうか?
また、かつては『意志』の概念はなかった、とも言われる。しかし、だからといって意志そのものまでもがかつては存在しなかった、というわけでもないだろう。たとえかつては『個人』という概念がなかったとしても、「ひとりひとりの人間」が存在していなかったわけではないように。それらは別に近代になって突然現れてきたわけではない。ただ、かつてはそのように見られず、またそのように呼ばれていなかったというだけのことだろう。そして今私たちはそれを、たしかに意志と呼び、また個人と呼ぶ。なおかつ私たちは今、それ以外のものとしてそれを見ることはできない。
だから、かつてがどうであったにせよ、もし今それが私たちにとって、ある種の困難となっているのだとしたら、そしてその困難を私たちの身から取り除こうと、私たち自身が考え求めているのだとしたら、今私たちがそのように見ているものとしての「それ」を、私たちは一体なぜどのようにして、そのように見るようになってしまったのか?ということを、私たち自身がつきとめるところからはじめなくてはならないのだろう。
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