2人が本棚に入れています
本棚に追加
しかしもちろん彼ら歴代の哲学者たちは、「それぞれの時代において、それぞれ自分自身の直面している現実を前にして考え、それをそれぞれの現実の中において書き記してきた」のであって、けっして「同時に一斉に考え、同時に一斉に書き記した」わけではない。また、たとえばアリストテレスは、カントを読んだこともないだろうし、ヘーゲルはドゥルーズの名前すら知らないだろう。要するに彼らが「同時に存在した事実はないのは歴史的に見て明らか」なことなのだが、しかし私たちは、「それらの存在を同時に知った上で、それらを改めて歴史的なそれぞれの場所に、歴史的に位置づけ、並べ替えている」のではないのだろうか?「同時に見ているものを、頭の中でそれらの登場順に改めて入れ替えている」だけの話ではないのか?それらが「どれも同じように、一つの歴史の中に存在している」ものとして、その歴史を読み変えているのではないのだろうか?あたかもそれらが「歴史という同一の現実的な条件」の中で生まれ出たものであるかのように、それらの成立の条件は、あたかも「平等であった」かのように考えているのではないのだろうか?そして、たとえばそのような並べ替え・読み変えの作業においては、やろうと思えば「デカルト抜きの哲学史を作り上げる」ことだってできる。実際そのように「歴史から消された者」は、どの分野においても数多存在するではないか。
最初のコメントを投稿しよう!