〔4〕人は歴史を同一地平の出来事として同時に見る。

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 一般に哲学とは、たいがい先行者の足らなさ・不十分さを批判することによって発展してきたと考えられている。そこで見方を変えると、先行者は後続者に「一方的に批判されるばかり」で、反論する機会を与えられることが絶対にないのだ、と言える。逆に言えば、たとえばカントはアリストテレスに「永遠に勝ちっぱなしの状態で居続けることができる」のである。それが可能なのは、まさしくそのような「登場順という、自分では埋められない差異」を見出すような歴史的な「視点」によってということになる。  そしてたとえば『哲学』がそのように「発展してきた」ように、『人間』もまたそのように「歴史的に発展してきた」かのように一般的に考えられていることだろう。しかし『人間』とははたして本当に、そのように「発展してきた」と言えるのだろうか?アリストテレスの考える『人間』と、カントの考える『人間』に、一体どれほどの「違い」があると言えるのか?「アリストテレスの見ていた人間」が、「カントの見ていた人間」に対して、どれほど「不十分」であったと言えるのだろうか?  先行者のことを「時代遅れだ」と言えるほど、はたして「現在」の何が、一体どれほど「発展している」と言えるのだろう?もし、「先行者の不十分さ」を理由にして、現在の発展を証拠づけようとするならば、その者もやがては「時代遅れで不十分なものとされてしまうことになる」ということを、一体「現代」の誰が、否定できるだろうか?
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