〔2〕世界は現に生きている者の経験を解釈したものである。

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 しかし、むしろ「経験の拡大=系列化」において成立する「世界」もしくは「世界史」なるものは、そのような「別の世界」あるいは「別の世界史」を対象として、それをも含めたものとして「無際限に拡大=包摂」し、それをも含めたものとして「系列化=物語化」し、その上でそれらを「一般的な世界」または「一般的な世界史」というように「一般化して成立しうるもの」なのだ、とも言える。それが「一般的な意味」での『世界(グローバル=インターナショナル)』であり『歴史(ヒストリー)』として認識されているだろう。  一方、そのような一般的な意味での『世界』や『歴史』が、経験的なものの拡大=系列化である以上は、「現に生きている人々との共有」を前提にしたものであるというにとどまり、その存続は、「現に生きている人々=私たちの生存の、無際限な延長」に依存せざるをえないものになってしまうとも考えられる。それは、「それに含まれるものの延長」として成り立つものだからであり、その無際限な拡大=系列化においてのみ成立するものなのだから。  『世界』や『歴史』の一般化は、そのような「経験の延長」においてなされているものだと言える。その『世界』や『歴史』の中に含まれている、私たちの個々の一生もまた、「人々の一般的な生涯」に含まれるものとして「一般化されている」のだ。
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