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また、「現に生きている人々一般の世界」において、無際限に延長されているところの「私たち人間一般の一生の長さ」は、「その世界の歴史の長さと一致しているもの」として見出される。「世界の滅亡」とは、「私たちの生涯の終わり」と同義なのである。だから「私たち」は、自分の目の黒いうちにはそのようなことが起こらないように、「何とかこの世界を延長しよう」と四苦八苦しているわけだ。このような苦労は、「私たちの経験=出来事の総体として見出されている、この世界あるいはその歴史」が、維持され存続されている限りにおいて報われるものだと、「私たち」には感じられている。「それに含まれるものとしての私たちの一生」が、その中で延長されている限りは、「私たちは、その世界を共有し続けることができる」と考えられている。
それはそれでたしかに「現に生きている人々」にとっては意味のあることだろう。しかし、そのような『世界』は、あたかも「私たちの誕生によって創造され、私たちの死によって滅亡するもの」であるかのように見なされている。あたかもそこでは「私たち」が、その世界の創造者すなわち『神』にでもなったかのようだ。もちろん「私たち」は、そのような傲慢なことは言わない。そのようなことはそれこそ「神に任せて」しまえばいい。もし仮に「神は死んだ」のだ、としても、その代わりはいくらでもいるのだ。そのような「代替可能な一般性に、世界の超越性を還元させること」によってこそ、「私たちは、私たちの個々の一生を超越して、『人間一般』あるいは『一般的人間』として生き長らえることができる」のだから。
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