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件の始まりは数時間前に遡る。
突然、来月までに仕上げないといけない作品のネタが浮かばないから今すぐ会えないだろうか、というメールが送られてきた。彼とは中学生からの仲だけど、今でも月に一度ぐらいの頻度で会っている。先週会ったばかりだったから、すこし変な気分がした。まるで先週会ったことは無いことにされたのような――と、つまらない創造的妄想をしても仕方がない。
大して焦燥的な文脈も見当たらなかったので、眼で文章を追いながら断りの返事を考えていたのだが、読み終わったところでいつも末尾に添えられている一文が欠けていたことに気がついた。記憶の断片にすら残らないような会話の最後でさえ、その暗号(というかただの数列なのだけど)を書き記すような変わり者である人に限って、うっかりしてた、みたいなミスをするとは思えない。僕らの感覚でいえばその一文は名前みたいなもの、記入しないといけない項目があるにもかかわらず、名前を書き忘れるなんて奔放さを彼が持っているはずがないのだ。
第三者からみればただの空白でも、僕からすれば気にかけるだけの設定がそろっていることが感覚的に理解できた。多少の予定はあったけど無理を承知でスケジュールを空けてもらった。
件名の欄にその会う場所が書かれていたので、駆けつけてみればいつもの男が立っていた、というのが経緯である。
「最初は驚いたよ。おまえはいつも文末に空いてる日程の数字を羅列するのに――新しい暗号かとさえ思ったからね」
「暗号を作るのは得意じゃないんだけど、君にはそう見えてた?」
彼は後頭部を摩りながら目を見開いた。後頭部に豆鉄砲を食らったらようなまぬけな感じに、おもわず吹きだしそうになった。
「ぼくね、昔からよく変な人って言われるんだ――知ってると思うけど」
「ま、そんなことあるね」
「なんかちゃんと言われた気がする」と言って彼はステンレス手摺りに凭れる。
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