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道行1
「シキ、もうそろそろだな。北のやつらが来るのって」
錆色の髪を掻きあげた逞しい男が隣に寝そべっている男に話しかける。
「うっとおしいことだ。なのにガク、あんたは喜んでいるのか?」
シキと呼ばれた長い白髪を後ろに括った男はため息をついた。この南の地一帯はこれまで北にある自称国主も手を出してこない一種の治外法権の場所だった。ところが、この度国を継いだ帝がこの地を治めるために弟宮を領主として寄こすことにしたのだ。
この場所は自分たちにとっては最後の砦。魔族が魔族として生きることができる唯一の場所なのに。
魔族という種族は人類の亜種だ。彼らの半分を構成しているのは獣であり、皆が人型、あるいは獣の形をとることができる。その獣は古の獣であり、今や伝説の生き物だと言われているもの。
これまでひっそりと生きてきたというのに。なんとしてもこの計画は頓挫させる必要がある。それなのに、ガクときたらこの前忍び込んだ宮中で飼われているという魔族の雛にご執心らしい。
「あんなガキがあんたの好みだとはね。それはそうと、なんであんたがここにいるんだ」
まだ子どもの雄だった。魔族にしては線が細く、まるで雌のような匂いをさせていた黒髪の睚眦。北の地域に紛れてしまった魔族はどんどん数を減らしていると言う。
繁殖力も弱く、華奢になってしまった同類。彼らは自身が魔族だと気付かないで一生を終える。何代も人と交配を繰り返したためにどんどん獣の部分が消えていき、雌は子どもを産むとそのまま死ぬことが多い。目立たない雌と違い、雄の魔族は容貌が優れているものが多い。
確かに保護欲はそそられるだろうが……。寝返りを打とうとしたシキの髪がぐいっと引かれてガクが乱暴に唇を奪う。
「……んあっ……や、止めろ」
寝台に縫いとめられ貪るような口付けからやっと解放されて、シキは自分を拘束している腕を振りほどいた。その様子にガクの目が細くなる。
「嫉妬してんの?」
「まさか……あんたが朝までここにいるのが信じられないだけだ」
ガクの裸の胸をどんと押してシキは寝台から降りると出口に向かう。
「あんたの目新しいものに手を出す癖にいちいち目くじらを立ててたらきりが無い。あんたが出ていかないなら俺が出て行く」
「やっぱり妬いてるんじゃないか。シキって可愛い」
ガクの言葉にシキは聞こえない振りで部屋を出た。
都を離れて南下すると共に深い緑もその種類が違ってきている。広葉樹に混じって幹に棘があるイバラが多くなり、追従の馬が傷を負うことが多くなった。むせるほどの草木の匂いも南部出身のキサヤにしてみれば、それも馴染み深い。
「馬の足を麻の帆布で覆ったほうがいい」
キサヤの進言を入れて即座に馬の支度のために馬車は即座に停められる。やっと朝から嵐の中の小船のような揺れの中にいた三宮とキサヤもやっと一息ついていた。
石で綺麗に舗装された道はすぐに途絶え、赤土を突き固められた道は雨が降るとぬかるんで深い轍になる。ここら辺の雨は集中的に降るせいで昨日は身動きができなかった。やっと止んだと思ったら道はとんでもない悪路になっていた。そのせいで馬車の乗り心地も半端無く悪かったのだ。
「手伝わなくていいでしょうか」
「そんなに顔を出すものじゃない、キサ」
何かできることはないかと窓から顔を出していたキサヤの腕がぐいっと引かれる。反動で勢いよくキサヤは三宮の胸の中に倒れ込んだ。
「わっ、索冥さま、失礼しました」
慌てて三宮の膝からキサヤは降りようとするが、三宮がそれを許すはずもない。
「せっかく二人きりになったと言うのにキサったらさっきから外ばかり見てるじゃないか」
「索冥さま」
キサヤだって本当はもっとべったりとできるかと思っていた。だが、旅先ではなかなか二人きりなんてことにはならない。宿に泊まったとしたって、宮中とは違ってすぐ近くの周りの部屋に追従の者がいると思っただけでそんな気分にはなれない。
ところが、三宮はその気充分なため、本気で拒むキサヤとはなんだか微妙な空気になっているこの数日。
「キサは平気なんだ」
キサヤを膝の上に抱きこんだまま、拗ねたように三宮はぶすりとため息と共に言葉を吐いた。
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