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指令
話は1週間ほど前に遡る。
本国でのことだ。
その日、ディルはミスターと呼ばれる伝令役から呼び出されて、とある雑居ビルの一室を訪ねた。
扉をあけて中に入ると、手を伸ばした先がようやく見えるほどの薄明かりだった。
ミスターが闇で顔を隠すためだろうとはすぐに察しがついた。
ディルが諜報部員となって数年。指示は全てミスターからくるものの、その顔は一度も見たことがないのである。
ならば電気のスイッチなどは無意味だ。
配線自体が切られているはずだ。
ディルはそのまま薄明かりの中に立った。
「おはよう、ディル。この時期のギリシャの海はきっと美しいのだろうね」
その声は闇の中から、静かに響く。
初老の男性のものだ。
ミスターだろう。
ミスターはいつも声色を変える。
老若男女、どんな声にもなる。
ただ決まって、どんな時間帯でも挨拶は『おはよう、ディル』だ。
そして前の任務で潜入した土地の名を出してくる。
今回に関しては『ギリシャ』がそれだ。
それで声の主がミスターだと判別できるわけだ。
「立ち話もなんだからね。右にテーブルと椅子がある。かけたまえよ」
ミスターに促され、ディルは右に進む。
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