いつかの出会いにさようなら

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 眼前の犬は忌々しげに(かぶり)を振り、ザジの姿を見止めるや、ニヤリと獰猛に歯を見せる。その鼻づらからはポタリ、ポタリと紅い雫が零れ落ちているが、痛みを感じている様子は見られなかった。 「テツ、俺があいつを引き付けてる間に逃げろ」  犬から視線を外さぬまま放たれた言葉に、「でも」テツは言い淀んだ。自分が足手まといなのは分かっていた。居てもできる事はないとも思うが、だからと言ってザジ1匹をここに残していくのは何だか違う気がするのだ。 「俺がこんなモジャ公にやられると思ってんのか?」  フン、と鼻を鳴らす。  そこへ低い地鳴りのような声が響いた。 「ゆかイ、な、ことだ」 「!」  テツはぎょっとして目の前の犬とザジを見比べた。  犬はもごもごと話しづらそうに口をまごつかせ、その様子をザジが信じられないものを見るような目で見ていた。  たった今、犬が発っしたのは猫の言葉だ。  巨躯の烏に比べると端的で聞き取りづらいが、それは確かに猫の言葉だった。 「知らなかったぜ。あんた俺らの言葉がわかるのか」 「おまエと、ハなシがしたクてな」  ザジはひっそりと冷汗が背中に垂れるのを感じていた。  なんせ自分が初めてこの犬を見かけたのは半兵衛が殺された一昨日の夜なのだ。その時はお互いに交わす言葉を持っていなかったはずだというのに。 (どんな方法を使ったら1日2日で他の生き物の言葉が解るようになるんだよ)  まったく恐ろしい学習速度をしていると、ザジは憎たらしい気分になった。 「話だァ? そんな仲じゃねえだろうがよ」  けれどもザジは表情を崩さない。  目の前の犬を調子づかせてはならないと、後ろの弟分を不安な気持ちにさせてはならないと、ザジはあくまで不遜な態度を変えない。動揺も、流れる冷汗も、悟られてはならないのだ。 「ハナし、というホどでもなイが」  犬はさらに言葉を重ねた。 「おまエの泣キわめくコえはゆかイだろウと」  そう言って恍惚に笑む犬に、ザジは思わず白い尾を膨らませた。  奴の獰猛な犬歯が覗いたのを見て、 「走れ!」  と叫ぶ。  その言葉とほとんど同時に、犬は2匹に向かって飛び掛った。  テツはその大きな前足を避けるように横に大きく跳ぶ。ザジは犬に向かって低く走ってその腹の下をくぐる。犬は反射的に目の前を横切ったテツを追おうと前足を伸ばすが、ザジが後ろ脚に噛みついた事によって一瞬反応が遅れた。  大きな爪はテツを捉える事が出来ずに空を掻く。  犬は大きく舌打ちをして後ろ脚に噛みついたザジを振りほどいた。投げ飛ばされた、というよりは自分から口を離したザジは、テツが犬の攻撃範囲の外へ逃げ出せた事を確認してホッと胸を撫でおろす。少し離れた所でこちらの様子を伺わずに逃げて欲しい所だが、ひとまずこの犬の牙の届かぬところに居てくれれば良い。 「ソんなにダいジか」  犬が馬鹿にするように嗤うので、 「けだもののアンタにゃわからんさ」  負けじとザジも鼻で笑った。
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