けだものたちの宴

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けだものたちの宴

 ぴぃちちち……。  鈴が小躍りすような(さえず)りが聞こえる。  馴染みの朱いシングルソファの真ん中にできた窪みに体を丸めて収まっていたお涼は、ゆっくりと薄い灰色の瞼を持ち上げた。  朝の陽ざしが木漏れ日のように差し込む古い廃墟の一室。  そこにお涼以外の猫の姿は見えない。ボスになって以降は見慣れた空虚である。気まぐれに訪れる小生意気な白い息子によって賑わされる事もあったが、事件の調査をすると言って以降はそれもない。  最近隣町から引っ越してきたサクラの話によると、調査に出てすぐに1度集会所に戻って来たようではある。  その後ザジはお涼には会わずに集会所を出たようだったが、テツとシキを送り届けに行ったのだろうと特に気にも留めていなかった。  お涼にとってはいつまで経っても“仕方のない子”であったが、同時にお涼の才覚と技術を1番濃く受け継ぐ、立派な雄猫であるから事を知っていたからだ。  あの意地っ張りな猫のこと。事件が解決するまでは自分の所に来ないつもりなのだろう。そんな“あたり”を付けて、お涼はザジが得意顔で報告に来るのを悠然と構えて過ごしていた。  けれどもその日以降、ザジがお涼の元に訪れる事はなかった。  事件の調査を彼らに言い渡してもう1週間が経つ。事件解決の是非は関係なしに、1度くらい顔を見せに来たっていい頃だというのに。  お涼は閑散とした部屋を見て目を伏せた。 (やはり、あの噂は本当なのかね)  猫たちの間では、この頃ある噂が囁かれている。 「あの“はぐれの白猫”が遂に死んでしまったらしいぞ」  集会所を訪れる猫たちの口に登る話題と言えば、最近は(もっぱ)らこれだ。  お涼とザジの関係を知る猫は少なくない。  彼女の手前で口に出すような猫はいないものの、あの殺しても死ななそうな程に傲岸不遜な白猫の死というのは、大いに猫達の興味を引いた。  集会所の猫たちがその情報の真贋も含めてしきりに話し合う。いくら声を潜めていたとしても、お涼の耳に届くのは当然の事だった。 (あの子が死んだ)  そんなはずはないと、お涼は心の内で否定をする。  そうでもしないと恐ろしくて、どうにかなってしまいそうだった。  お涼は今まで67匹の子どもを産んだ。  その中でも1番最後に生まれ、そして唯一生き残った子どもがザジだ。  他のどの子どもよりも素早く。  先に生まれた兄たちよりも賢く。  誰よりもお涼によく似ていた。  お涼にも父親にもない真っ白の毛皮を持って生まれ、それ故の生きにくさや太陽に嫌われているという弱点を踏まえても、彼が野良猫たちの中でも優秀である事実を覆す事はできなかった。  だからお涼は彼が死んだという情報を上手く咀嚼できない。 (そんなはずはない)  否定を重ねた。  同行していた2匹の猫の安否も気になった。  ザジに何かあったとしたら、テツとシキはどうなったのだろう。まさか、あの小さな猫たちも死んでしまったなどというのか。  お涼の心に吹き荒れるのは、どうしようもない不安と後悔だ。  何故なら、ザジに同行するように2匹を誘導したのは他でもない自分だったからだ。  もちろん、お涼なりの考えがあっての事だ。  お涼はもう若くない自分の後継にザジを据えようと常日頃から考えていた。ところが、困った事にザジは他の猫と馴染むことが出来ず、縄張りの猫達からも敬遠されている。今もボスのお涼が黙認しているから好き勝手できているのだ。お涼がボスの座を離れれば、今までの様に素知らぬ顔で猫集会に紛れ込む事などできなくなるだろう。  そんな中、そういう風の吹き回しか、ザジは縄張りの猫を脅かす事件の調査に名乗りを上げた。  これは良い機会だと。内心でお涼はほくそ笑んだのだ。彼にそんなつもりは毛頭ないだろうが、この事件を解決した事を公表すれば、縄張り内でのザジへの意識も少しは改善するだろうと。  ザジに何か考えがあるだろうことは見てわかったので、彼が親しくしている猫達をお供に着けた。  ザジがついていれば、2匹に危険が及ぶことはない。  2匹が後ろにいれば、ザジは無茶をしない。  そう考えた自分は浅慮だったのだろうか。 「……おや?」  いつの間にか外から降り注ぐ光を遮る影がある事に気が付いた。見慣れているわけではないが、そのシルエットをお涼は良く知っている。 『烏が此処に何の用だい?』 『ひえっ』  お涼が烏の言葉で問いかける。  天井に空いた穴から中の様子を伺っていた若い烏がカア、と体を跳ねさせた。 『此処はこのお涼の縄張りだ。悪さするってんなら容赦しないよ!』 『ち、違います! あたしは此処に猫探しに来ただけでさ』  威勢よく吠えるお涼にたじろぎながらも、若い烏はバタバタと黒い体を動かして弁明する。その様子が演技だとも思えなかったが、 『猫探しィ?』  猫を探す烏なんて聞いたことがないと、訝しげに目を細めた。 『ええ、ええ。あたしは風車山(ふうしゃやま)の見張り烏、名をトバリと申します』  烏の中でも理知的な喋り方だ、とお涼はわずかに目を見張る。  トバリは恭しく下げた頭を上げて、まっすぐお涼の目を見据えてこう尋ねた。 『“はぐれの白猫”、ザジさんがどこにいるのかご存知ありませんか?』
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