けだものたちの宴

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 転がる様に廊下を駆けて、突き当りの茶室に飛び込む。  浅い呼吸を繰り返しながらシキが部屋を見渡すと、小さな茶室のそう遠くない隅の方に身を屈めて神経質に周囲の様子を伺っているザジの姿がある。  あの少年が茶室の方へ近づいて来るような気配は感じられない。  しかしザジが警戒を解く事はなかった。耳をしきりに動かしながら、落ち着きなく鼻を鳴らしているの彼を見て、シキは怪訝そうな顔をする。 「一体どうしたの?」 「お前ら気が付かなかったのか?」  ザジは呆れた声を出した。 「あの人間……“あいつ”の匂いがしたろ」 「“あいつ”って」 「まさか……」  2匹は目の前の彼の表情を見て喉を鳴らす。  ザジの表情は固く、険しい。  眉間に深く溝を穿ち、白いまつ毛の被った瞼がわずかに伏せられた。そのまろい曲線の内側に描かれたものがなんなのかを想像するのはそう難しい事ではない。  テツは記憶の中、未だ鮮明に残っている黒い影を見つけてしまって身震いした。  時々夢に見るのだ。  黒い淀んだ瞳と、長い鼻先。そこから長く続く黒い唇がぱっくり割れて、覗いたのは生肉のような歯茎とそこに連なる白く鋭い歯だ。まとわりつくような歓喜のため息が生暖かい。  忘れがたい悪夢のような夜を、今も夢に見る。 「あの人間を追いかけるぞ」  ザジの言葉にテツはハッと顔を上げ、そして目を見開いた。 「嘘でしょう? まだ怪我も治り切ってないのに!」 「動けねえ事はねえ。これ以上寝てたら体が鈍るしな」  そう言い終わるか終わらないか。ザジは軽やかな足運びで躙り口の前まで駆け上がっていく。動作は怪我をする前には及ばないものの、すでにテツやシキの身体運びとは比較にならない程に素早い。  猫としての素地の違いを見せつけられたような気持ちになって、テツは複雑そうに閉口する。これでは「僕がいくからザジは休んでて!」と言いづらいではないか。 「今追わないと見失う。人間は数が多いから、一度紛れるとなかなか見つけられねえ」  言ってから扉の先を睨むザジを見て、シキの長い尾が揺れる。 「私も、ザジの意見に賛成」 「シキまで!」  うにゃあ、と抗議の声があがった。その声を涼しい顔で受けとめながら、「あの人間“今度うちに来た時”ってご主人に言ってた」と思案顔でシキが呟く。 「これってご主人が近いうちに、“あいつ”のいる家に行くって事でしょう?」 「にゃ、にゃんですと!?」  テツが飛び上がった。  その先で躙り口に手をかけているザジも、シキの方を見て目を丸くしている。 「そんなの危ないよ~っ! ご主人が襲われたらどうするのさ!」  「やめさせないと!」と息を巻くテツに、ザジは「やめさせるったってよぅ……」と呆れたような視線を向ける。  人間である少女の言葉を、テツとザジは理解することが出来ない。唯一シキだけは彼女の言葉を聞き取る事ができるが、それも簡単な言葉だけだ。猫の中でも賢いシキも人間の話す言葉すべてを理解できるわけではない。  そしてそれは人間側も同様だ。  二足で立ち、猫には理解の追いつかない奇妙な道具を使う彼らも、未だ他の生き物の言葉を扱うには至っていないのだ。  人間に何かを伝えようとするなんて、ザジにはこの上なく不毛な事に思えた。 「ご主人に直接言っても無駄よぅ」  ザジの心を代弁するかのようにシキが言葉を連ねた。なかなか躙り口を開ける事の出来ない彼を押しのけて、慣れた手つきで小さな襖を開けて見せる。 「本当に“あいつ”がいるのか、私たちで確かめるのよ」  そう言って躙り口をくぐるシキをぱっかりと口を開けたまま見送る。ザジもその後に続こうとして、固まっているテツに気が付いた。  によ、といつもの笑みを浮かべたザジは、 「お前も来るだろ?」  と誘いの言葉を送る。  テツの顔色が一瞬で桃色に染まった。 「もちろん!」  元気よくひと鳴きして軽やかに駆けだす。  その目の前でザジが眩しそうに目を細めるのが見えた。
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