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■ ■ ■
線路の前に古い洋館があった。
大きさは目を見張る程ではない。庭も狭く石造りの門に囲まれているだけの、上流階級の遺産と呼ぶにはいささかお粗末な造りの館である。それでもしっかりと手入れさえすれば、童話に出てくるメルヒェンな雰囲気の館になるだろうと予想させられる。2階の天窓に誂えられたステンドグラスや、中央の一番高い屋根に腰を据えた風見鶏が、シンプルながらも品の良さの滲む造りに一役買っていた。
もっとも現状はさながらおばけ屋敷の様相だとしか言いようがないのだが。
遠くから眺めると良くわかるが、その立地の悪さも目にあまる。
背の高い木々の植わった空き地に囲まれているために日当たりが悪い。この館の周りだけ影が落ちているように薄暗く見える。寂れているとはいえ線路の前という開けた立地にも関わらず、だ。灰色に塗られた壁と、黒い屋根がその陰鬱さを助長していた。
そんなお化け屋敷のような洋館に、不釣り合いな少年が帰って来た。
擦れた表札の前を通り過ぎ、軋む門を開け、荒れ放題の庭を抜けて真っ黒い大きなドアの向こうに吸い込まれて行く。
その黒い学ラン姿を、3匹の猫が見つめていた。
館の斜め前に停められた1台のクラシックカー。長い間動かしていないのか、フロントガラスの上には落ち葉が降り積もっている。
その腹の下の隙間から覗くのは、縦に伸びた細長い瞳孔だ。
「あそこが彼の家なのね」
館の外観を注意深く眺めながら黄色い瞳が瞬きする。
「あのモジャ公の匂いがぷんぷんする……やっぱり“あいつ”は此処に住んでやがるんだ」
忌々し気にしかめられたのは紅い瞳だ。
「此処、いろんな匂いがして気持ち悪いよぅ」
ぎゅう、と青い瞳が閉じられる。
車の下から這い出たシキとザジは、彼の言葉に釣られて鼻をひくつかせて「たしかに」 と頷き合う。
此処に近づくにつれ薄々気が付いてはいたのだが、この館の周囲には様々な動物の匂いがこびりついていた。
その匂いから得られる確証めいた暗示は、3匹をいっそう不安な気持ちにさせる。鼠、烏、狸、そして猫……。この漂う悪臭が、彼らが通り過ぎただけのただの残り香であったのなら、こんな気持ちにはらなかっただろう。
けれどももう、3匹には解りきっている事だ。
これらは皆、死臭なのだと。
あの犬に殺された者たちの匂いが、この館の周囲に漂っている。あの犬が、狩場で仕留めた獲物を、住処まで持って帰ってきていたのだ。
『あっ!』
カア、と聞き覚えのある鳴き声が聞こえてザジは頭上を仰ぎ見た。
空き地から無造作に伸びる木の枝に、見覚えのある若い烏が止まっているのが見えて、思わず名前を呼んだ。
「トバリじゃねえか」
『ああ! ああ! ザジの旦那、よくぞご無事で!!』
「なァに言ってんかわかんねェよ」
ばたばたと降りてきてカアカアと捲し立てるトバリに、ザジはおかしそうに口の端を歪める。てっきり逃げたとばかり思っていたが、烏という生き物は思っていたよりも義理堅い生き物なのかもしれない。
ザジに笑われて、トバリは「す、すいやせん」とはにかむ。
それから咳払いを1つして、
「心配しやしたが、ご無事で何よりです」
「そりゃあ悪かったな。……それで、お前は此処で何やってんだ?」
「旦那を探しに来たに決まってるじゃあないですか!」
トバリがひと際大きな声を出した。堰を切って飛び出したような言葉の勢いに押されて、ザジは思わず背筋を伸ばす。後ろではテツとシキが目を白黒させていた。
トバリの声は止まらない。カアカア、ギャアギャアと滝のような声をザジに向かって注いでくる。
「旦那ったら、プライベートな事は何にも教えてくれないんだから! 住処も縄張りも知らないで探すのは、それはもう大変だったんですよ! ボスからお涼さんの縄張りによくいるって話を聞いて行ってみたはいいものの、猫達の間では“死んだ”なんて噂は立ってるし。あたしがどれだけ肝を冷やしたか、知らないでしょう? 烏はねぇ、旦那が思っているよりも一途なんだから、そこの所ちゃんとしてくださいよ? 間違っても何も言わずに消えるなんて事はしないでくださいね。ハァ。……結局、そこで知り合ったご母堂と一緒にここまで来たんですが、あたしが館に入れないっていうのに、ご母堂はさっさと中に入って行ってしまうし……」
「待て」
息継ぐ間もなく捲し立てるトバリに、ザジは待ったをかける。
トバリがそこまでして自分を探していた事にも驚かされたが、それ以上に聞き捨てならない言葉があった。
「誰と、来たって?」
「だからザジのだんなのご母堂ですよ」
「母さんが、どこに入ったって?」
「あの館にですよ」
ざあっとザジの頭から血の気が引いていく。そうして混乱のあまり働きの悪い頭を振るが、引き出される言葉は1つしかない。
ザジは理不尽である事は分かっていたものの、叫ばずには居られなかった。
「早く言えよ馬鹿野郎!」
そう言い残して駆け出した彼を、「待ってよぅザジ~」「気持ちはわかるけど落ち着いて!」とテツとシキが追いかけていく。
みるみるうちに遠くなっていく背中を、トバリはあっけにとられたまま眺めるしかなかった。
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