いつかの出会いにさようなら

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いつかの出会いにさようなら

 ――それはおよそ1年前のこと。  林にほど近い所を走るでこぼことしたコンクリートの道の上。  右も左もわからぬ仔猫のテツは、呆然と道路の真ん中に佇んでいた。  目の前にはテツよりもふた回り大きい茶トラの雌猫。足をだらんと伸ばして、傾いだ首はテツをぼんやりと見上げてはいるものの、瞳はすでに彼を映していない。 「おかあさん」  テツが呼ぶ。  返事はない。  太陽の光ばかりが悪戯に眩しい。  強い光がテツの心からも母猫の体からも、力に似た何かを(こそ)ぎとっていくようだった。 「おかあさぁん」  テツが呼ぶ。  やはり、返事はない。  半開きの口からは、代わりにだらりと薄い舌が覗いていた。  テツは民家から遠く離れた林の中で生まれた。  生まれたときにはすでに兄弟はなく、若い母猫のキヨと2匹ぼっちで生活していた。食べる物が少なくなって来た冬の頃、キヨは小さなテツを連れて林から出てきたのだ。  そして我物顔で田舎道を走る固くて大きい鉄の塊に跳ね飛ばされて、あっけなく死んだ。  1匹で生きていくには幼すぎるテツは、母猫の死を理解する事ができなかった。  死という概念すら、この頃のテツには未知のものであったかもしれない。  けれども、母猫に”よくない事”が起きたというのは肌でわかったし、同時に自分にとって現状が”非常に良くない状況”である事も勘づいていた。  だからといって、テツにはどうする事もできない。たまらない不安と空腹に苛まれる体を抱えたまま、動かぬ母猫を呼び続けた。  どれくらいそうしていただろうか。  太陽が1度頭上を通りすぎ、テツの空腹が限界に近付いた頃。周囲はすでに夜の闇が広がり、ぽっかりとした真ん丸の月が遠くの山間(やまあい)からこちらの様子を伺っていた。  母猫は相変わらず返事をしない。  動かぬ母の身体の上にじっとりと落ちゆく影を、なんだかとても恐ろしいと思った。  がさりと、不意に背後の草むらが揺れて、背中が跳ねる。  ぶわわっと全身が泡立つのを感じながらも、どうしたら良いのか分からずに母猫の傍にへたり込んだ。意図せずとも耳は下がり、尾は腹の下でくるりと丸まってしまう。
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