未来の国から消えた子

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夢かうつつか、あの男の声がする。 いつもより甲高い、ヒステリックな響きを伴っていた。 「小夜子は、妻はどうした? まだ動ける身体ではないはずだ」 「知りません。病室にでも戻ったのでは」 それきり、母は戻ってこなかった。 眠りから覚めた彼は不思議な空間にいた。 温度を感じない。 光も差さない。 無に近い空間だ。 彼は疑念を抱いた。 身体は? どこだろう。 ― からだは無くなったのか。 彼の問いに反応があった。 外部音声入力装置越しに聞こえてきたのは、あの男の声だ。 「すばらしい。赤ん坊のすべてを電子情報に変換し、移植させることができたぞ。私は天才だ」 「すごいですね、松戸さん。おっしゃったとおりです。遺伝子や脳内の情報だけでなく、肉体を保存しておいたのが良かったのでしょうか」 「そのうち身体もなんとかする」 声だけが聞こえてくる。 男の声は、先日聞いた時よりも興奮気味に上ずっていた。 「なによりも喜ばしいのは、電子情報となったこの子が、真っ先に肉体の有無を気にしたことだ。どれほど演算処理能力の高いコンピューターでも、最先端のAIでも学習できない本能というもの、生命だけが持つ根源的な欲求をこの子は持っている」 不安だった。 肉体がないと何もできないし、身を守るすべがないことに恐怖を感じる。 ― 母はどこ? あのゆりかごにもどりたい。 彼は「無」の中で身じろぎをした。 だが動かすべき肝心の肉体が存在しないのだ。 それはあくまで観念上の動きであるはずだった。 「何が起きている? あの子はどこへ行った」 驚いたのは彼の何気ない行動が、松戸と彼の研究員たちを混乱に陥れたことだ。 観察者たちは、彼が端末から忽然と姿を消したと思ったらしい。 彼は収容されていた端末の記憶装置から、身じろぎひとつで隣接する端末へと移動してしまったのだ。 外部マイクしか接続されていなかった最初の容れ物とは違い、新しい端末にはカメラや各種センサーがあり、光や熱などを感じとることができる。 ― 目が見えるようになった。 あわてて部屋中のモニターや観測機器を覗き込む研究員、部屋の中央に設置された水槽に近寄る松戸准教授、液体に浸された嬰児、それらがいちどきに視界に飛び込んできた。 ほんの数秒の間に起きた劇的な変化に、彼は困惑した。
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