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皆は大広間で談笑を楽しんでいた。その足元では巴がハイハイをして這いずり回っている。例によって、積み木や人形などを咥えたり投げたりして遊んでいた。
勇は誰とも話をせずに、ソファの上でぼーっと座っていた。すると、ハーフパンツをぐいぐいと引っ張られていることに気がついた。引っ張るのは勿論巴である。
「あら、お兄ちゃんに懐いたの?」と、俊子が訝しげな顔を見せた。
鬱陶しいなぁ。と、思いつつも勇は巴を抱き上げた。すると、ニコニコと笑いだした。
「あーらー、勇に懐いたの?」
文達一家がいつも巴の姿を見る時は俊子の胸に抱かれていた。巴の顔は不思議と常に真顔であった。この頃から感情表現の乏しい子だなと思う者はいたが、まさかこんな状態とは誰も思わなかった。
「じゃあ、勇に巴のお世話任せようかしら」
「え?」
「何よ。嫌なの?」と、ドスの利いた声を上げながら居丈高に勇を睨みつけた。
勇は何かあって文句を言われたくないと言う気持ちでいっぱいであった。巴は勇を気に入ったのか、笑顔で髪の毛をぐいぐいと引っ張りにかかる。
「そうそう、今日はフランス料理のお店を予約しておいたの。苺ソースのテルミドールが美味しいところがあるのよ。今日は気分が良いから、奈緒美さんも連れて行ってあげるわ」
「あれ? 僕は?」と、勇。
「何を言ってるのよ、巴のお世話に決まってるでしょ。アレならタッパーに入れてお土産にしてあげるわ」
「それなら、あたしが巴ちゃんのお世話しますので勇の方を連れて行って上げて下さい」
奈緒美が巴の世話を立候補した。勇はそれに甘えて巴を奈緒美に渡した。その瞬間、巴は急に泣き出した。
「ほら、奈緒美さん嫌われてるのよ」
俊子は奈緒美から分捕るように巴を取り上げた。
巴はおうよしよしとゆりかごのように揺らされるが、泣き止む気配はない。
バケツリレーのように皆で巴を渡し合うが、泣き止む気配はない。
巴は最後に戻ってきた勇の手元でやっと泣き止んだ。
「やっぱり勇のことが好きなのよ、この子。物好きねぇ」
最後の一言だけは余計である。勇は俊子を一瞬、睨みつけた。
その様な訳で、勇は半ば強引に巴の世話を押し付けられてしまったのである。
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