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 勇は大学教授となり、ゼミナールを持つようになっていた。 ゼミナールの学生たちに夏休みを迎える前に論文の課題を出すと、その学生たちの中の一人から論文の書き方について相談を受けた。 「先生、論文の書き方でご相談したいことが」 「どうしたね? 文法とか?」 「いえ、文法とかは大丈夫なんですけど」 「大学入試の小論文とかでノウハウは学んでるから心配はなさそうだね。問題は中身だよ」 「はい、とある村に伝わる因習なんですけど…… ちょっとデリケートな問題なので触れていいかどうかの判断が出来なくて」 「デリケート……? この国は言論の自由はあるけどないからね。どんな問題?」 「はい。おじろくおばさなんですけど」 勇の顔が凍りついた。日本の民俗学を齧っていれば絶対にぶつかる問題なのだが、勇にとっては触れたくない事案故に「昔の日本の山奥ではこんなことをしていた」程度の知識で留めていたのだった。 「ああ、あれかね。長男以降の弟や妹は奴隷のように扱われる因習かね」と、冷静を装いながら、勇はその学生に尋ねた。 おじろくおばさ 長野県の神原村(現、天龍村)で行われていた因習である。長男より下の弟はおじろく(男)、妹はおばさ(女)と呼ばれていた。 彼らはほんの僅かな食事と寝床のみを与えられ、両親、及び長男一家に一生涯奴隷の様に扱われていた。彼らを使用する家はおじろくとおばさに家以外の関わりを強制的に断たせ長男の言うことのみを行うロボットに仕立て上げたのである。 この制度が生まれたのは江戸時代に出された「分地制限令」から来るものである。簡単に言えば家の長男以外は家督(土地)の相続が出来ないということである。そのため、長男以外は家督を引き継げない故に存在自体が意味を成さない。しかし、長男が亡くなったり病気になったりなどのリスクを考えて「予備」として下の兄弟を残していた。その「予備」を生かしておくかわりに長男の為に生きる奴隷にしているのであった…… 勇は自分が俊子から受けていた兄弟差別が正にこれだと考えていた。 おじろくおばさの因習を調べていく内に「おじろく」を自分と重ね合わせ、心の傷を抉られるために深く調べることはこれまで避けていた。
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