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今、なんて言った?
彼女が何か話しかけた時、僕はぼんやりしていた。
いや、そうじゃない。僕は、関心のない女性の前では、いつもぼんやりしているのだ。だから、大抵は何を言ったのか聞き逃してしまう。
「ねぇ、聞いてるの?」と彼女。
「あっ、ごめん。ぼーっとしていた。」と僕。
少しムッとした顔で彼女は、僕の顔を覗き込み、眼鏡の下から丸い目を向けてくる。間近に見た彼女は、思っていた以上に整った顔立ちをしていて、ドキッとする。
「聞いてよ。わたし、誘っているのよ。」
「どこへ?」
「やっぱり聞いてない。」
「ごめん、ごめん。で、どこへ?」
「あなたの、そういうところ...」
「そういうところ?」
「好きなの。」
エェッ!これって、告白?
オフィスで同じ部屋っていっても、席も離れているし、仕事で何度か声を掛けたくらいだし、たまたま歓送迎会のカラオケ2次会で隣り同志で、ひょんな拍子で一度デュエットしただけだし、たまたま帰りが同じ方向だっただけだし、電車の中でこんな風になるなんて思いもしなかったし。
なんだよ、これ。
「ごめん、横田さんって、ギブン・ネームは?」
「ゆかり。」
なんで、名前なんて聞いてんだろ。酔ったかなぁ。
「どんな漢字?」
「全部、ひらがな。」
「へぇ、可愛い名前だね。」
こっちから質問を重ねているようで、実は、彼女、いや、ゆかりの方がいつもイニシアティブを取っていて、明日のお昼にパレスホテルで食事した後で、上野にある美術館とやらに一緒に行くことになっていたし、僕の男子校時代の渾名が「ガンモ」であること、その理由が部活の帰りにコンビニのおでんで、たまたま「がんもどき」を買ったのを目撃されてしまったという、他愛無いエピソードのせいだということも教えてしまっていたし、その部活が映画やドラマにもなった男子のシンクロナイズドスイミングだったってことも教えてしまっていた。
つまり、知らず知らずの間にズルズルと引き込まれてしまっていたのだ。
昔遊び人だったって自分で言っている僕の親父が、「おまえ、女の子にモテようとおもったら、聞き上手になって、いろいろ話させて、聞いたことを憶えていて、気に入りそうなことを片っ端からしてあげるんだよ。」って言っていたが、その作戦は、彼女の方が得意そうだった。
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