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だから、物好きで活発的な彼女には、踊り回る子犬の曲がぴったりだと思った。
「どうした?」
中途半端なところで曲が止まる。つい声をかけたが、頭を上げることはしない。
「私ね、明日家を出るの」
それは、年金の何割かをこの娘のためにとっておく生活の終わりを示している。
「そうか」
たしかに最近の娘は、この町並とは違うような気がした。
「でも、たまには帰ってくるわ。お土産でも持って」
初めて目が合ったと喜ぶが、これは2度目だ。1度目は初対面のとき、いや...あれが1度目で、これはノーカウントだ。老眼鏡をつけたこの状態では、娘の顔をはっきりと見ることはできない。
「その時は手伝うから、新しい人なんて雇わないでね」
そういえば最近、正面のガラスから男子中学生が覗いてくるのだが、あれはお前の弟なのか。あの子なら、見習いくらいにはしてやってもかまわない。
「うちには車があるからな。そんなもの、いらん」
「もう、気をつけてよ」
容姿は変わっても、からりとした笑い方は変わっていなかった。
「じゃあね、おじさん。またね」
「ああ」
初めて返事をして、初めて店を出る姿を見送った。老眼鏡をかけたままで手を振ることもしなかったが、娘はどこか嬉しそうに見えた。
その日の夜、鉢に植えられた造花と赤地に黒星柄のヘルメットが、オルガンの上に忘れられているのを見つけた。
「あそこの父親は、俺が嫌いだからな」
手土産がやって来るまでは、知らないふりをしておこうと思う。
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