2人が本棚に入れています
本棚に追加
黒星
この地球上で最も愚かな生き物は何か。そう問われる機会があるならば、人間だと答える。
まず、刹那的なものを好むところ。過ぎ去ったものを美化して、批評する。誰だって、幸せに生きられるなら永遠に生きたいはずだ。自分の1番良かったときを思い出して、その時の汚い部分を忘れ去ったかのように懐かしむ。見苦しいものだ。
しかし、いちばんいけないのは群れたがるところだ。人間は誰であろうと1人で生まれて、1人で死んでいく。ならば、形だけの同情で付き合う方が薄情なのではないだろうか。妻を亡くし、人生も終結から数えた方が早い年齢となった今では、若い頃からの疑念が確信めいたものとなっていた。
その点、金銭で協力を得られる現代社会は上手くできている。だから、これはあくまでもビジネスの問題なのだと自らに言い聞かせている。1人になってからは少ない荷物をまとめては家をかえていた自分が、最後に選んだこの地。はじめの数年は満足していたのに、どうやら大きな勘違いだったようだ。
「ほらよ」
机の引き出しから封筒を取り出すと、白い手がその中身を確認する。
「おじさん」
赤地に黒い星柄のヘルメットの良さは理解できなかったが、綺麗な娘だった。
「なんだ、1枚少なかったか」
だが、ここ最近で化粧が濃くなった気がする。横顔だけでも、唇の異常な赤さが際立つほどだった。
「そうじゃないの。私ね」
ここまでの長居は初めてだった。いつもは封筒を受け取って、「またね」だの「ありがとう」だのと言って店を出る。親御さんと何かあったのかもしれない。
「お喋りする気なら帰ってくれ」
自分の手元に集中できるのは、ありがたいことだった。ネジ1個、歯車1個が狂えば、こいつは動かないのだ。
「違うの。そう...そこのオルガン、借りてもいい?」
「ずっと気になっていたの」と言うが、果たしてどこまで本気なのだろう。いいと言うまで帰らないような圧力に負けて、渋々了承した。
「...好きにしろ」
娘は遠慮することなく、椅子に着いた。艶やかだった黒髪は、パサついた茶髪に変わっていた。
「おじさん、オルガン弾くの?」
机の上に並べた歯車を数える。これまた、長丁場になりそうだ。
「いや、来たときからあった」
お互いがそれ以上に言葉を交わすことはなく、寂れた店内に古びたオルガンの音が優しく響き始めた。
最初のコメントを投稿しよう!