第2話 思慕

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混雑を避けたくて、かなり早めの時間に来た。 そのせいか、辺りはがらんとしており、人気はまるでない。 学園内…といっても校門から校舎まではまあまあ離れているからな… 歩くのが面倒な生徒は校舎前まで馬車で乗り付けるんだとか。 俺の場合は、校門から徒歩で校舎へ向かってる。 まあ…御者に手間を掛けさせたくなかったのと、単純に自分の足で校舎まで歩いてみたかった、だけだが。 薄紅色の花弁が風に吹かれ、気まぐれに舞い踊る。 蒼穹の空を鮮やかに彩る様は、春の訪れを感じさせる。 桜…いや、この世界ではローサムというんだったか。 隣国のウィステリア和国から友好の証に贈られた若木は王城、学園、各主要都市に其々植えられている。 此処、ランタナイ学園もその1つだ。 校門から校舎への道中にある並木道。 その中にローサムのみの区間がある。 他の美しくも逞しい木々と合わさり、幻想的な雰囲気を醸し出している。 俺が足を止めているのも、ローサムの木の下だ。 この様に目を奪われ、自然と立ち止まってしまった。 こうしていると、不思議だな…何処か懐かしい気がしてくる。 此処は異世界だというのに…あの頃のあの日に余りにも似ているから。 翠は桜が好きだった。 俺も桜は勿論好きだが、それ以上に… 桜を見上げて、不意に此方に目を向け、照れたように微笑む姿が、とても綺麗で…目に焼き付いて離れない。 あの日から俺は桜を見る度にあの光景を思い出す。 『もう一度、名を…呼んでほしい。』 そんな願いを、無い物ねだりをしてしまう。 遠く離れていても、空は繋がっている。 そう、何処かで聞いたが… それが本当ならこの想いも届いてしまうのだろうか。 「…愛してる。」 瞼の熱さも、流れ落ちた雫も… アイツに見せるには情けなさ過ぎるけど、今は…今だけはこうしていたいんだ。 ゲームが始まれば、俺は【傍観者】になる。 俺は俺ではなく、キャストの一人として生きる。 俺が俺らしく居られる時間は無い。 常に表情筋が死んでいたとしても、此処に至るまでに何度もそれは生き返っている。 ゲーム内ではいつも死んでいた表情筋が、何かの拍子に生き返ってしまえば、シナリオからほんの少しだけ外れてしまう。 傍観者がイレギュラーを起こすなんてあってはならないし、厄介事に巻き込まれたくもない。 淡々と日々を生きて、エンドを見届けるんだ。その後は俺として生きる。 だからそれまでは、モブ兼傍観者のウィル…ウィメルタス・レノス・スノッドルとして生きる。 それが俺の決めた生き方だ。
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