第5話 歌唱

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ーーー5年後。 俺は15歳になっていた。 窓を見れば雲ひとつない蒼穹の空、入り込む日差しは穏やかで暖かい。 居眠りをしたくなるほど心地よい気温に瞼が下がりそうになる。 授業は真面目に聞いているものの少々退屈に感じるのは、偏屈そうな老年の教師によって小難しい古典文学作品が朗読されているからだろうか。 作品の内容を噛み砕けば、ただのラブロマンスなのだが、表現方法が独特で文体も古めかしい為、原文を読み上げられると念仏にしか聞こえないのだ。 勿論、この世界に仏教は無いから、念仏というのは例えであり、どちらかというとキリスト教に近い感じの宗教が広まっている。 隣国の和国では、仏教というより神道っぽい教えが広まっている為、仏教が無いというのも強ち間違いではないのだ。 「…では、次回から解説と理解度チェックの為に、授業終了15分前から小テストを行なっていく。予習・復習をきっちり行ってきなさい。宿題は第1部の現代語訳と要約だ。要約は100文字から150文字以内に納めるように。以上だ。…何か質問がある者は手を挙げなさい。……居ないようなので、これにて終了とさせていただく。…解散。」 ホームルーム以外で号令はない為、チャイムの音か教師の声掛けで授業が終わる。始まりも同じだ。 今も解散の一言で、一気に教室に騒めきが戻ってきた。今の今まで、教師の声以外、全く何も音がしない程に静まり返っていたのに、何という変わりようだろうか。 「ふぁあ…」 凝り固まった身体で上に伸びると、じんわりとした痛みと共に小さめの欠伸が漏れた。 …まあ、退屈だったのは認めるが、流石に少し騒がし過ぎる。 確かに最後に出された宿題は面倒極まりないが、この授業では扱う作品が変わる度にあのような宿題を出されているのだから、いい加減慣れた。 ふとスピーカーの横の掛時計を見ると、針は12時を少し過ぎた頃を示していた。 …もう昼休みか。 あぁ、だからか…いつも以上に騒がしかったのは。 納得はしたが、さて今日は何処で食べようか。 んー、今日は2人共用事があって、お昼一緒に出来ないって連絡が来てたんだよなぁ… ノクター君は学会に提出する論文の作成が佳境に入ったから、それが終わるまで暫く一緒に食べれないらしい。 ジェイは文化祭実行委員の会議があるから、文化祭まで毎週1回は別々でお昼を食べる事になるらしい。 …つまり、今日のお昼はぼっち確定って事か。 2人とも忙しいみたいだし、仕方ないっちゃあ仕方ないんだがな。 まあ、今日は天気も良いし、屋上で爽やかにぼっち飯と決め込むか。 行き先を定めた俺は、俺お手製の弁当を手に屋上へと向かった。 ガチャリ ギッ…… ドアノブを捻り、ほんの少しだけ錆びた音を耳にしながら足を踏み出した。 バタンッ 意外にも大きな音を立てて閉まったドアに少し驚いたものの、それに目を向ける事なく、ランチに丁度良さげな場所を探して視線を彷徨わせた。 …おっ、ラッキー!ベンチ見っけ! 少しして見つけたのは、古びた木製の4人掛けベンチ。 近づいてみたが、年季は入ってるものの、木が腐ってるようすはない為、そこで食べる事にした。 1人では話し相手もいない為、黙々と食べ進め、10分もせずに完食した。 貴族はもう少しゆったりとお上品に食べるものだが、俺の前世は根っからの庶民だし、周囲に人は居ない上、昼休みは次の授業への移動時間を含めて1時間の為、早食いでも問題ないのだ。 「ほぅ…」 水筒のお茶を飲み、一息つく。 柔らかな風が頬を撫で、一つに結わえた髪を優しく揺らす。 …時間にはまだ余裕があるし、もう少しゆっくりしていても大丈夫だろう。 ただ過ごすだけでは何となく味気ない気もする。 翠なら、歌でも口ずさんでそうだな… …真似、してみるか。 「冬恋 春恋 夏恋 秋恋 寒空から寒空へ 巡る想い Repeat 僕は君を好きになって 後悔したことなど 一度も無いよ 世界がキラキラ 輝き出した 何色? 君が居たから僕が居る 「ありがとう」 伝えて 驚かせようか なんてね」 久しぶりに日本語を使ったなぁ… こっちの歌も悪くはないんだが、やはりJ-POPやアニソン、ボカロに親しんだ人間からすると、何処か物足りない気がする。 ああ…これは、前世で俺と翠が好きだった曲だ。 ネット上で話題沸騰の新人歌い手の初のオリジナルソングで、歌い手本人が作詞を手掛けたらしく、そこから作詞家としての才能も発揮し、他の歌い手に歌詞提供をする事もあった。 CD販売も行われていたし、ライブツアーも成功させていたっけか。 (歌詞は作者が自主作成したものですが、その他の説明についてはフィクションです。エブリスタで歌詞集を投稿しているので、もし宜しければ覗いてみて下さい。ーby作者) …何とも懐かしいな。…もう聞くことはできないが、翠との思い出が詰まっているから、死んで十数年間経った今でも歌える。 ……はは、何だか泣きそうだ。 背もたれに首を預けて見上げた空は、酷く澄んでいる筈なのにぼんやりと霞んで見えた。 文化祭まで1ヶ月を切り、皆んなは準備で大忙し。校内は盛り上がりを見せる中、俺一人取り残されている気がしていた。 隣には誰も居ないのに、居るんじゃないかと期待しては自己嫌悪。 昔の女のケツをいつまでも追いかけてんじゃねーよ、とドヤされても文句の一つも言えないぐらい執着してる。 傍観者としてヒロインの恋路を見守る以外、己の能力を高める事しかしていない。 新たな恋をしようにも、誰にも惹かれない。 …まあ、ゲームがエンディングを迎えるまでは今の生活を続けるつもりだから、別にいいんだが。 相変わらず俺の交友関係はノクター君とジェイ、知り合い枠でヒロインが入る程度。 第2王子殿下とその配下から、勉学・武術等の成績で恨みを買っているが、ヒロインとジェイと俺で学年トップ3を入学当初からずっと独占してきたからなぁ…5年も続くと流石に心が折れたのか、いつの間にか己の能力を高める事に集中するようになり、悪感情を向けてくる事がなくなっていた。 モブとしては失格だが、卒業後を考えると好成績で悪い事は1つもないんだから、と開き直っている。 そもそも、ゲーム内では攻略対象者達の具体的な成績順位は出ておらず、精々誰が何を一番得意としているか、逆に何が一番苦手かぐらいしか分からなかったんだ。 要は誰を攻略するかの判断材料としての役割しか果たしていなかったのさ。 …まあ、現実的に考えて他人の能力値がヒロインにだけ見えるとかあり得なさすぎるからな。 噂や攻略対象者達の知り合いからの又聞きなどで、手に入りそうな範囲の情報しか出てこなかったのも頷ける。 ちなみにこれは、このゲームでお馴染みの『変に現実的な要素』の1つとして数えられている。 王子様は置いといて、兎に角俺は、この5年間その3人との会話と、その他の人との最低限の会話以外、誰とも交流していないんだ。 …話しかけると普通に対応してくれる人もいるが、半数は顔を赤くして息を荒げる人や吃る人、謝りながら走って逃げる人等、なかなか普通に話せない。 …何故だ?俺、何にも悪い事してないぞ? いや、人見知りだし人嫌いで集団嫌いの協調性皆無だが…それとこれとは別だろう。 それに他に思い当たる事と言えば、入学式の日の一件ぐらいのものだが、アレは俺の犯行とバレないまま、勧善懲悪なヒーローがやったって噂もひっそりと消えていったからな…これも違うだろう。 はぁ…まあ、いいか。 さてと。 そろそろ時間だし、次の授業へ行こうかな。 ーー護衛班、応答せよ。 ーー此方護衛班。姫様の周囲に異常ありません。 ーー了解。現在の姫様のご様子は。 ーー歌詞は不明ですが、歌を歌っておられるようです。とても綺麗な歌声で、ほとりを流れる水のように静かで透き通っていますが、心に響く歌い方をされており、先程から我々一同胸を打たれ涙を流しております。 ーー何だと!?あの方は滅多に歌われないのだぞ!録音はしてあるのだろうなぁ?よもや我々のモットー『隊員全員平等に』を忘れたわけではあるまい。 ーーええ、それは勿論。しっかりと取らせて頂いておりますとも。入学当初から麗しき御姿ではありましたが、年を重ねられ、最近は色気も感じるようになりました。御声も声変わりを終えられ、可愛らしいアルトボイスから、落ち着いた柔らかなテノールボイスになられ、益々魅力を増しておられます。…歌声と最新のブロマイド、交換して頂けるのであれば、他の班の方々に回して頂いて結構ですから。…本部の幹部の皆さん、よろしくお願いしますね? ーーむむ…それは、脅しか? ーーいえ、そんな。交渉ですよ。 ーーええい、やむ終えん!写真班との交渉次第だが、必ず一人一枚は最新版のブロマイドを渡そう!引き渡しは録音と交換で行う。本日の放課後、例の場所で会議をする。そこで引き渡す。…これでいいな? ーーええ。貴方が話の分かる方で良かったです。 10分後。 ーー此方護衛班。今姫様が屋上を出られました。どうやら次の授業へ向かわれるようです。 ーー移動先の教室までお見送り次第、解散せよ。皆、授業に遅れるなよ。 ーー了解。 主人公の知らぬ所で、行われた会話。 これは、念話にて繰り広げられた隠れファンクラブ【ウィル姫様を見守り隊】護衛班の本部との連絡の内容である。 入学当初からその容姿と声、そして第2王子様もびっくりの高スペックぶりを発揮した事で人気を博したウィル。 しかし、本人はあまり人と関わろうとせず、己の能力を磨くだけの日々を送っていた為、表立って何かをする事は憚られ、結果として隠れファンクラブ【ウィル姫様を見守り隊】、通称【姫守隊(ひめもりたい)】が結成される事になった。 姫守隊(ひめもりたい)の活動は、ファンクラブらしい活動(グッズ販売、良さの語り合い等)と親衛隊としての活動(変態から貞操を守り、敵対者がいればその排除を行う)の2つだ。 護衛班は親衛隊としての活動を主にしており、実力行使をするのは下心を向ける者(変態)に対してが殆どで、ウィル自身が敵対者を作らないように動いている為、今の所敵対者の排除を行った事はない。 学園内の人気者には必ずあるファンクラブの中で、隠れか否かを問わず、トップレベルの平和ぶりを見せる生粋の穏健派。 このレベルで平和というのだから、過激派が如何に恐ろしいか… 姫守隊(ひめもりたい)の活動は今日も続く。 …本人の与り知らぬところで。 〈豆情報〉 *作中でちょい出しぐらいしかしないであろうに、無駄に細かい設定を此方にのせておきますね。 【ムルチャトフ語】 1月(ジャヴィン) 2月(ラヴェリフ) 3月(マルトス) 4月(アプリル) 5月(メヴィマ) 6月(ユニアン) 7月(リジュイ) 8月(ガウティス) 9月(セブルタン) 10月(オトバール) 11月(ノーヴァン) 12月(ディルッサ) 0(ルゼ) 1(ユアン) 2(ドーウェ) 3(ロワリー) 4(トフィー) 5(クファイ) 6(ゼシース) 7(ゼヴェト) 8(イッハト) 9(ヌフネ) 10(ディーン) 11(オルエフ) 12(ワズドーフ) 13(トルティズ) 14(カフェティズ) 15(ケイティズ) 16(セゼーティズ) 17(セヴェンティト) 18(ディハティト) 19(ネンティフ) 20(ヴァタ) 21(ヴァタントゥエ) 22(ヴァタンデーウェ) 23(ヴァタロアン) 24(ヴァタルカフィー) 25(ヴァタセファイフ) 26(ヴァタスゼーク) 27(ヴァタセヴェント) 28(ヴァタウィアット) 29(ヴァタネーナフ) 30(デルトーハ) 日付として使われる。数字オンリーの時はそのまま発音し、日にちオンリーで言う時は語尾に『ス』をつける。 (例)1月1日(ジャヴィン・ユアンス) 月曜(ラディマ)火曜(マルィズ)水曜(メズンク)木曜(ジュハド)金曜(ヴァフィ)土曜(サムィタ) 月〜金→平日 土→休日 (プラターレ)(エマーテ)(オーヘスト)(ヴィヴェータ) 1週間6日間・1ヶ月5週間=1ヶ月30日 1ヶ月30日・1年12ヶ月=1年360日 1日24時間→1ヶ月で720時間→1年で8,640時間 *この世界での年齢は『数え年』で数えるので、誕生日を祝うという風習はありません。 お金の単位→ムトフ (1ムトフ=1円) 鉄貨→1ムトフ 銅貨→10ムトフ 銀貨→100ムトフ 金貨→1,000ムトフ 白金貨→10,000ムトフ
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