ある作家Mの妄言

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 どうしようもなくなって、私は思わず、 「私は、焦っている」  と口を開いた。するとどうだろう、その言葉は音にはならず、一個の飴玉になって私の唇からお茶のなかへと零れ落ちていった。  私はすっかり驚いてしまって、マグの中をまじまじと覗き込んだ。  丸いうす紫をした飴玉は元々つくりが脆いのか、摂氏60℃近くのラベンダーティーの中でその身をゆるゆると溶かしている。溶け出た飴玉のシロップで透明な紫色に色づいていくラベンダーティーを、私は不思議な心地で眺め続けた。  私は普段、ストレート派だ。紅茶にしても、珈琲にしても、ミルクと砂糖、レモンなどを追加するなどという邪道は一切認めない。  つい先日、「日本のお茶は甘くないから美味しくない」などと宣った米国男性26歳独身と中洲のパブで一杯やっていたのだが、星を眺めに席を立ったのを見計らい、彼のモスコミュールに珈琲用の角砂糖8個をお見舞いしてやったのは良い思い出である。(ちなみに「星を眺めに行く」というのは私と彼の間の隠語である。日本ではトイレに行くことを明言するのを避ける傾向にあるから、こういった言い回しがあるのだと私が教えた)……勿論、その日を境に彼とは絶交した。
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