一郎

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ダイニングのモップがけを一通り済ませ、一郎は自室へと戻った。 2辺をアコーディオンカーテンに仕切られた狭い部屋。 敷きっぱなしの布団と勉強机。それから三段のカラーボックスが一個。 質素な部屋だ。 布団を畳み窓際に寄せ、椅子を引いて机に向かう。 皿に乗ったお惣菜をつまむ要領で、右側に積まれている問題集の問題を2ページずつ解いていく。終わったら、左へ積む。 これを、5教科7科目分毎日行う。 もう日課みたいなものだ。 淡々と解かれていく数学、参考書を横目に埋めていく英語。 化学の難問にぶつかり、参考書を開く手を止めた。 余白に『負けるな、頑張れ』と書いてある。 高校3年生の現役時代に自身で書いた。 何度やっても解けない難問にぶち当たり、理系から文系に転科しようか悩んだ時に、己を奮い起こすために書いたのだ。 力強い字だ。 今の自分にこの強さがあるだろうか。 東大を目指し猛勉強したが、結果は不合格だった。 相手は東大だ。現役で合格するほうが稀なのだからと周りから励まされ、実家で浪人生活を始めた。 翌年は、東大だけじゃなく滑り止めの私立も受験した。 センターの結果は悪くなかった。が、東大は不合格。 私立は合格したが、親に頼み込んで、もう1年浪人した。 あともう少しだった。手応えのようなものを感じていた。 そして、翌年。挑んだ東大受験。結果は不合格。 センターの結果は悪くなかったのに、だ。 今からどこかの私立を受けることもできる。 東大以外の国立だってあるだろう。 東大にこだわることはない。もう2年も浪人したのだから。 不合格を連絡した時、電話に出た母親は涙ながらに言った。 「どこでもいいから、大学に入ってちょうだい」と。 家に帰ることができなかった。そのまま3日ほど伊勢崎の繁華街を彷徨った。 持ち金もつき、気力も体力もつき、大岡川のほとりで途方に暮れているところを、丈二に声をかけられた。 そして黄金もちのオーナー、高橋杏里に会い、ここの住人になった。 実家にはラインで『友人の家にいる』とだけ連絡した。 親と向き合う勇気がなかった。 一郎は手を止め、床に横になった。 隣から丈二の寝息がかすかに聞こえる。 窓からの日差しが目にかかり、思わず瞼を閉じた。 瞼を開ける気にもなれず、一郎はまどろみの中で丈二の寝息を聞いていた。
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