走り書き

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走り書き

「ただいま」  いつものようにそう告げて家に入る。でもいつものような返事がない。  この時間、家には必ず母がいる。玄関まで出てこなくても、『おかえり』と声で迎えてくれる。  どこかに出かけているのかな。でも、当たり前のように家に入ったから、扉に鍵はかかってなかった筈だ。  首を捻りながら台所へ向かう。母の姿はない。だったら居間かと、そちらを覗いたがそこにもいない。代わりに、机に一枚の紙切れが置かれていた。  救急病院の名前が記されている。  誰か事故にでも遭ったのだろうか。母はそこへ駆けつけたのだろうか。  そう思った瞬間、頭の奥がぐらりと揺れた。  ああ、違う。誰かじゃない。事故に遭ったのは俺だ。  横断歩道を渡っている時、車が突っ込んできたんだ。そのことを今思い出した。  どうやら俺は病院に運ばれたらしい。母はその名前だけをメモに記し、慌ててそちらへ向かったようだ。  ふと気になり、玄関へ向かう。見ただけで判る。扉には鍵がかかっていた。  開けたつもりがすり抜けたのか。  つまり、今の俺は幽霊か。でも、死んだという実感はまったくない。  もしかして、まだ間に合うのかな。今から病院へ向かえば、俺は俺の体に戻れるかな。  自分自身の亡骸を見るまで諦めない。急いでこの、走り書きに残された病院へ向かおう。 走り書き…完
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