溶ける香りの記憶

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それから半年後に母は逝ってしまった。 葬儀を終えて、今後のことを父と妹といろいろ話し合ったが、父はやはり一人で家に居たいと言った。 まだねえ、ここには母さんの匂いがたくさん残ってるからね。まだこの家に居てあげないと寂しがるからねえ。 父はそう私達に説明した。 父はふと立ち上がると、コーヒーを煎れる準備を始めた。 まだコーヒー煎れてたんだ? 妹が聞いた。 そーだね。もうクセになったかな。 昔は父さんがコーヒー煎れると母さんが熱々のパンにバターを塗って、その溶ける香りがしてきてね。 思い出すなあ。 生活してると忙しくて立ち止まる時間もないと思い込んでしまうからって、母さんにそう言われて決めたんだ。 家族でゆっくりとお互いの顔を見る時間を作ろうってね。 お陰でコーヒーを煎れるのも上手くなった。 母さんは何気にバターを塗ってたけど、あの溶けたバターの良い香りと味は母さんしか出せないよ。 そして美味しそうに食べる顔を見ている時が、いちばん幸せな時間だったのかもなあ。 そうして大切にしてきた時間だったけど、あっという間に過ぎてった気がするねえ。 本当に長かったようであっという間だった。
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