溶ける香りの記憶

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家の中には、母の写真がたくさん飾ってある。 ちょっと遠出をするとすぐ写真を撮りたがる、と前に母が言っていたのを思い出した。 すると父は言い訳するように、 だってほら、今はさスマートフォンでこんな綺麗に写真が撮れるんだよ。すごい技術の進歩だよねえ。 でもお父さん、私みたいなおばあちゃんばかり撮ったって仕方ないわよ。 俺だっておじいちゃんだよ。でもこうやって残しておくとさ、後で分かるからね。 ああ、あの時ここに行ったんだってね。 もう記憶もあてにできない年になってくるからね、アハハハ。 今も父の近くでフレームの中から微笑む母を見ていると、いろんな記憶が浮かんでくる。 ふと、私は自分のことを考えてみた。 父や母のように自分の家族を大切にする時間を作れてきただろうか。 父や母が与えてくれたように、私は自分の子供達にしてあげることができていただろうか。 慌ただしい日々の中で立ち止まれずに大切な時間を見過ごしてきたのかもしれない。 母のような母親に、私はなることができなかった。 私はまた小さな子供のように涙が溢れでてきそうになり目を閉じた。 すると一瞬、あの溶けるバターの香りが鼻先をスーっと通り抜けていった気がした。 目を開けるとフレームの中から母が、微笑みながら私を見つめていた。 大丈夫だよ。 溶けたバターの香りの中で微笑む母が、私にそう語りかけてくれた気がした。
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