終章      四  月夜の千歳桜

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「わたし……。だれのことを言っているの……?」 (だれか大切な人がいたような……)  とても重要なことを忘れているような感覚は、日増しに強くなり、初音の心を嵐のようにゆらした。 初音は居ても立ってもいられなくなり、自室を飛び出した。  あてもなく夜の庭を歩き回っていると、桜の花びらがふっと目の前をよぎった。 「いったいどこから」  月明かりに浮かび上がる桜は、まだ一分咲きだ。  それなのに、花びらが散るとは……。  ひらり  ひらり  拝殿に近付くほど、花びらは舞い落ちてくる。  初音は勢いよく拝殿の奥の妻戸を開けた。 「これは――」 そこには、千歳桜があった。  螺鈿細工をあしらった弓は宙に浮かび、燦然と輝いていた。 「千歳桜――」  初音は呆然とした。 「わたしを呼んだの?」  初音は、ふらふらと千歳桜に近寄ると、手を伸ばした。 「この弓を知っている」  弦が鳴り、弓と呼吸がそろう。  弓と初音との鼓動が共鳴した。 「天に行って、千歳桜を授かったのは、夢じゃなかった……」 拝殿の祭壇には、いまだに金椿が奉納されている。  でも本物ではないはずだ。新しい神財を授かるために、わたしは日神の宮へ行ったのだから。     
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