第1章

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 その年、東京から地元へ引き上げてきた弟と、大阪から引き上げてきた彼は、10年以上過ぎた時間なんか関係なく、昔みたいに、一緒につるむようになった。  ある日、弟の口から、彼が自分でショットバーをやると聞いて意外に思った。彼はバーをやりそうなタイプではない。どちらかといえば技術職――なにかを黙々と作らせたり――そんなことの方が似合いそうなイメージがあった。  彼の母親の夢が、自分で飲み屋をやることなのだそうだ。特別なにかやりたいことがあるわけではない彼は、その母の夢を自分が叶えてやろうと思ったそうだ。  店の経営が軌道に乗れば、ゆくゆくはその店を母親に譲る。そんな風に思ったらしい。  店をオープンするための準備を進めている矢先に、彼の母親は死んだ。原因は男に浮気をされたことだった。首を吊って自殺した。  死体を発見したのは彼だった。  彼には大きな心の傷と、やる理由のないバーが残された。  人の親や、死んだ人のことを悪く言うのは無粋なことだと分かっているが、その話を聞いて、ボクは、「最低のクズ」彼の母親のことをそう思った。  母親が自殺して以来、彼はひどい心の病気に掛かった。  急に床を舐めだしたり、夜中に彷徨うようにほっつき歩いて、中学生の頃のように道端で寝たり。  それでも彼は、予定通り店をオープンさせ、安いだけで接客も何もない店だったが、営業を続けた。  彼の心の傷の深さを見るほどに、好きでもない仕事を続けている姿を見るほどに、彼が母親をどれだけ愛していたのかを、見るような気がした。  子どもを捨てて、男を愛したような女でも、彼にとっては母親だった。彼は、親が子を思う気持ちよりも強く、母親のことを愛していた。
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