或ル書生ノ進退

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 青海(せいかい)寂寞(せきばく)とした沙漠に似て荒涼とした風が吹きすさび、その上を一隻の船が―― 「駄目だ。凡庸だな」  三十路を過ぎて尚書生のような宙ぶらりんの生活を送る己の身に敏雄は焦燥していた。書きかけの原稿の上に筆を置くと、机の横に重ねて置いてあったホトヽギス*1を手に取りパラパラと(ペェジ)(めく)って目を通す。 (何故自分はこのような文章が書けないのか)  名のある同人誌に幾つも短編を寄せ、一應(いちおう)本も出したことがあるが大衆の心には(かす)りもしない。自分には才能がないという現実に敏雄は薄々気付きつつあった。 「敏雄さん、お茶ですよ」  女中が茶と団子を皿に盛りつけた盆を机に置く。この二十台半ば程の住み込みの女中は名を美彌(みや)と言う。敏雄の父・栄三郎の知人の娘であり、身寄りがなくなったために栄三郎が引き取ったのだ。一応女中という名目だが実態は養女同然であり、父も敏雄の兄の辰吉(たつきち)美彌(みや)を家族同然に可愛がっていた。勿論敏雄も妹のように思っている。 「何か面白い話は浮かんだの?」 「美彌(みや)。面白い話などそうそう簡単に浮かぶはずがないよ。いいかい? 素晴らしい物語は初めて日本人が電気や汽車を見た時の感動にも匹敵するのだ。そんな感動がそうそう浮かんでたまるかね」 「では敏雄さんは電気や汽車を作っているといふのね」 「そういふことになるな」  美彌は大学には通っていないが、敏雄の部屋の本をよく()んでいるからか物言いは機智(きち)に富んでいた。ただ、その歯に衣着せぬ言動が災いしてかこの歳でまだ嫁に行っていない。皮肉にも動ぜず敏雄は大仰に頷き、美彌はろくに売れもしない作家もどきのふてぶてしい物言いに嘆息した。 「まったく、ついこの間小父様(おぢさま)が倒れられたというのに。口を開けば小説小説と敏雄さんは薄情者だわ」 「親爺殿(おやぢどの)は働きすぎなのだ。どうせ過労だろう。これを期にゆっくりされることだ」
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