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序章
天井は囲炉裏で燃した灰によって薄っすらと煤汚れており、それに似通った外壁の土壁は、戦時中空襲に備えて煤に汚したため、半世紀以上経った今でも鮮明にその残骸を残している。古い日本家屋。この家は、幼いながらに何か奇妙なものを感じさせるものだった。
少女は中庭に面した縁側に腰掛けて、池を泳ぐ鯉に視線を向けていた。
「ねえ、おばあちゃん、ママは?」
母の姿が見えないことに不安を感じた妹が、隣にいた祖母の顔を見上げた。
「ママはお仕事よ。夕方には戻ってくるから、それまでおばあちゃんと一緒に遊びましょうね」
蒸し暑い田舎の夏休み。
「ママいつもいないねえ」
幼い妹は少女の隣で足をバタつかせながら、それでも楽しそうに鯉を見ている。
「ねえ、おばあちゃんアイス食べたい」
「あら、でも、もう少したらご飯よ」
「アイス! アイス食べたい!」
「じゃあ、アイス買いに行きましょうか」
お昼前の楽しいお散歩。
愛くるしい孫のおねだりに負けた祖母は、その孫の手を握り締めて顔を綻ばせながら縁側から去っていく。手を引かれて楽しそうにスキップしている妹を見送った少女は、一人ぽつんと取り残されて、ぱくぱくと水面に口を出している鯉をじっと見つめた。一緒に行かなかったのは、いつも周りの関心を独り占めしている妹が憎らしかったから。
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