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待ち人
轍の雪が凍っていた。それだけでもう、憂鬱だ。
できることなら行きたくない。でも、行かないわけにはいかない。一つため息を吐き、荷物を持ち直す。
氷の上を歩くよりはと、残った雪の上を行く。表面はわずかに凍っていて、ザクザクと踏みごたえがある。
横を、小学生の一団が駆け抜けていった。一人が転び、けれどすぐに立ち上がって走っていく。元気な歓声。羨ましい。
例年ならば、そろそろ春めいてきているはずだ。雪掻きをしているご夫婦が、今年の冬は長いねと話していた。何とも言えない気持ちになる。
ザクザクと、足を進めていく。
空は青いけれど、空気は冷たい。マフラーを引き上げようとして、両手が塞がっている事を思い出す。
少しずつ、民家はまばらになっていく。考えねばならないことがある。それでも、今はただ無心に足を動かしていく。
やがて民家はなくなり、山の麓。年老いた桜の下に、彼女はいた。
夜の帳の様な黒髪。銀にも見える白い着物。薄水色の帯。静かに、桜を見上げている。まだ、花を咲かせていない桜を。
その後ろ姿が、ひどくかなしい。
声を、かけなくては。そのためにここまで来たのだから。けれど、邪魔をするのは躊躇われて。立ちすくむ内に、彼女が振り向いた。
微笑まれてようやく、足を動かす。広げた日傘を差し出した。
「今日は、日射しがあるので。良かったら」
「ありがとう」
ひんやりとした空気が動く。
「今日も来たのね」
「はい。話を聞く必要があるので」
「聞いたところで、どうにもならないでしょうに」
「それでも、です」
どうにもならない。確かにそうかもしれない。それでも、話を聞かなければ何も進みはしないから。
彼女は、仕方なさそうに笑みを浮かべた。
「今日はイスも持ってきたんです」
二脚広げて座る。彼女も隣に並んだ。
「どこまで話したかしら」
「吉野さんに、絵のモデルを頼まれたところまで」
「そうだったわね」
長いまつげを伏せ、彼女はくるくると日傘を回した。懐かしそうに、愛しそうに言葉を紡ぐ。
「もちろん、最初は断ったわ。でもね、あの人ったら……」
幸せな思出話に、私は泣いてしまいたくなった。
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