第壱章

18/18
1296人が本棚に入れています
本棚に追加
/32ページ
 先程の畳と同じように宙に浮いた札は、どうしても心許なく見えてしまう。強度がどうあれ、見た目はただの大きな札で、厚さも変わっていないからだ。  夜鈴は結依の言葉を信じて、恐る恐る乗ってみた。すると、思いの外頑丈に作られていることがわかる。端の部分を爪で引っ掻いても、紙の感触はしなかった。  すぐ横で仁王立ちしていた結依は、いい感じだ、と頷いて言った。 「それじゃ、横に移動してみようか」 「移動って、どうすれば……」 「そう言ってみればいいよ。言葉は通じるんだから」  夜鈴は視線を真下に落とした。小さな声で、されど聞こえる程度の声で言った。 「……横に、ゆっくり飛んでください」  数秒の間が空いて、札はふよふよと動き始めた。体が後ろに傾いて、夜鈴は慌てて後ろに手をつく。安定するように、きちっと正座していた脚も、少し崩した。  奇妙な浮遊感が心地よくて、不思議と勝手に口角が上がってしまう。 「いいね、上手。次、上に行ける?」  言葉の通じる、付喪神の宿った札は、結依の言葉には反応しない。夜鈴の指示にしか従わないように作ったのか、それともわざわざ、結依の言葉を言い直しただけの夜鈴の指示を待っているのか。 「上に、お願いします」  先程より早く反応し、札はゆっくりと上がっていく。開けていく視界に、夜鈴は感嘆のため息を漏らした。気持ちいい、という率直な感想が、声になって出た。    神社は山頂にほど近い場所にあるので、それほど高く飛ばなくても、里が一望できた。そもそも里の様子がきちんと見えるようにと造られたので、当然である。  地面に立っていた時よりも、風が強く感じられた。さらさらと、風によって冷えた髪が首に当たる。背筋がぞわぞわと粟立つような感覚が、堪らなく快感だった。 「怖くない?」  いつの間にか隣にいた結依に、夜鈴は驚く。結依も飛べることを忘れていた。 「……いいえ。見晴らしがよくて、気持ちいいです」 「凄いね、肝が据わってる」  結依は茶化すように言った。夜鈴は少し迷ってから、落ちないように慎重に片膝を立てる。それに気づいて視線を向けた結依に、夜鈴は表情も変えずに言った。 「立ってもいいですか?」 「……いいよ?」  結依は戸惑い気味に言う。まさか、そんなことを言うとは思ってもいなかった。地上から七メートルは優に離れていて、今もじりじりと上昇しているというのに。  普通ではない。少なくとも普通の人間の感覚ではないと、結依は確信を持った。同時に、見込みがあるとも思う。夜鈴という少女は、神と通じられる力がある。 「よっ……と」  夜鈴は札に両手を突いてから、勢いよく立ち上がった。見ている方が怖い、とは正にこのことである。実際、隣にいた結依は、内心はらはらと落ち着かなかった。  立つと、風が当たる面積が大きくなる分、やはり不安定になる。夜鈴は脚をやや開いて、仁王立ちした。少なくとも、内股で脚を閉じているよりは安定する。  清々しいほどの笑顔で、夜鈴は結依に言った。 「本当、気持ちがいい」 「……凄いね、咲来さん」 「凄くないですよ。高いところが好きなだけです」  夜鈴は心配そうな結依に気を遣って、再び座った。今度は端に座って、膝から先を下に垂らした。そのまま、先程よりも速い速度で、斜め下に下りていく。  札に『止まって』と指示をして、やや上にいる結依の方を見て、言った。 「社の周り、一周して来ますね。勿論、低く飛びますから」 「うん、いってらっしゃい」  結依はしつこく言うのも嫌だったので、薄く微笑んで、快く夜鈴を送り出した。夜鈴のわくわくした表情や、楽しげに輝く小豆色の瞳を見て、結依は思った。  この少女ならば、本当に空を飛べるようになるのではないか? と。早々に下りていった夜鈴を見下ろして、結依は期待や不安の交じった微笑を浮かべた。  
/32ページ

最初のコメントを投稿しよう!